2016年08月11日

ポース

3205191.jpg

おやじメモ

 32.5.19 北洋捕鯨初漁式 カミソリと同じく切れる 六尺の柄 ポーズ


 柄は持つところ。尺(しゃく)は、明治時代に1尺=10/33メートル = 約303.030 mm(曲尺(かねじゃく)の場合)と定義されている。
 鯨尺(くじらじゃく)は、曲尺の1.25倍であり、約 378.788 mm となる。
 中国では、1尺=1/3メートル(約333.333mm)と定義している。

 さて、どれで計算すれば良いのやら。

 鯨尺とは鯨を計るための物差しという意味ではなく、ヒゲクジラのヒゲで作られた物差しという意味です。
 とはいえ、曲尺とは長さが違うのです。

 下記の写真はお袋が和裁をする時に使う物差しですが、鯨のヒゲではなく竹です。

DSCN6462.jpg

 曲尺で計算すると、六尺=181.8cm。
 鯨尺で計算すると、六尺=228cm。
 中国で計算すると、六尺=199.8cm。

 どれでしょう?

 この柄に包丁の刃が付いているわけです。
 もし刃に「丸ソ」のマークが刻印されていれば、福岡市博多区の「宗鉄工所」の製品ですが、そこまでは見えません。
 モデルはおやじです(笑)。
 曲尺かな^^

posted by てっち at 13:45 | 青森 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 第三日新丸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月08日

これは第三日新丸かな

img131.jpg

おやじメモ

 なし

 
 第三日新丸
posted by てっち at 15:21 | 青森 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 第三日新丸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月23日

WAZA(世界動物園水族館協会)もIWC(国際捕鯨委員会)も自分のことしか考えられないですからね〜、脳です。

 日本動物園水族館協会(JAZA)が追い込み漁によるイルカの入手を断念したことについて、和歌山県太地町(たいじちょう)の三軒一高町長は21日、「国際的な問題にしようと反捕鯨団体がやっていることにJAZAが屈服した」と批判した。自民党が同日に開いた捕鯨対策特別委員会などの合同会議に出席し、「我々は漁業者を今後も守っていくし、漁をやめない」とも述べた。

 自民党は追い込み漁の正当性を世界に発信することなどを政府に求める決議をする方針を決めた。党捕鯨議員連盟の鈴木俊一会長は「追い込み漁は古来の伝統。黙って受け入れるわけにはいかない」と述べた。

 菅義偉官房長官は5月21日午前の記者会見で、イルカ追い込み漁について「関係省庁が連携し科学的根拠に基づいて、イルカや鯨類を含む水産物資源の持続的な利用について丁寧に説明していきたい。今回のJAZAの決定によって、追い込み漁に直ちに影響があるとは考えていない」と語った。
朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASH5P3G8YH5PUTFK001.html

posted by てっち at 16:25 | 青森 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 第三日新丸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月15日

日章丸と第三日新丸

日章丸
クリックすると拡大します

おやじメモ

 なし



 メモはありませんが拡大してみて分かりました。日章丸と第三日新丸です。
 場所は佐世保の第四岸壁に日章丸、第三岸壁に第三日新丸が停泊しています。

 img100まる.jpg
 佐世保湾 佐世保重工業株式会社


 と、いうことは、この写真の手前に写っているタンカーは出光の日章丸三世ですね。
第三日新丸.png このお尻は第三日新丸

 おやじが日章丸に乗船させてもらって第三日新丸を撮ったのでしょう。

 さらによく見ると日章丸には足場が下げられています。塗装中のようですね。船名を書き入れたばかりかもしれません。写真の左下に写っている小屋のようなものに塗装係と書いています。

日章丸三世
起工 1961(昭和36)年11月18日
進水 1962(昭和37)年07月10日
竣工 1962(昭和37)年10月07日
その後 1978年解体

 
 という事ですから、この写真は進水の昭和37年07月10日から竣工の10月07日までの間に撮られた写真という事になります。この時期なら納得です。このあと第三日新丸は南氷洋に向けて出港したでしょう。 

日章丸三世

 設計は佐世保重工業と石川島播磨重工業が協同で行い、契約船価は50億2,200万円(当時)。 1962年10月7日に佐世保重工業佐世保造船所で竣工した当時は世界最大のタンカーであり、また単機最大出力28,000馬力の蒸気タービンは、タンカーに搭載されたものでは最大であった。 竣工後、ペルシア湾から出光興産徳山製油所への原油輸送に従事したが、1978年に台湾の高雄で解体された。
 日章丸(にっしょうまる)は、出光興産の子会社である出光タンカーが所有・運航していた原油タンカーである。

 総トン数  74,869 トン
 載貨重量トン数 132,334 トン
 満載排水量 163,360 トン
 全長 291.0 m
 垂線間長 276.0 m
 型幅 43.0 m
 型深 22.2 m
 吃水 16.57 m
 主機 石川島播磨重工業製蒸気タービン 1基
 出力 28,000馬力(最大)
 25,500馬力(常用)
 航海速力 16.25ノット
 最高速力 17.19ノット
 乗員 71名

 本船の竣工直後の姿を克明に追った短編映画『日章丸』が、竣工の翌年(1963年)、本船の船主である出光興産の企画の下、東京シネマ(現・東京シネマ新社)の手により製作された。
http://www.kagakueizo.org/movie/industrial/71/



日章丸事件

 時代は「黒いダイヤ」と言われた石炭から「油の一滴は血の一滴」と言われた石油に移り変わろうとしていた。国を豊かにする為にも戦争をする為にも原油を確保しなければ戦えないのである。

1859年 アメリカの鉄道員だったエドウィン・ドレークがペンシルベニア州オイル・
    クリークで機械掘りに成功する。これが世界の石油産業の始まりとなる。
1901年 イギリスの探検家であるウィリアム・ノックス・ダーシーが、ペルシャ国王の
    モザファール・デイン・シャーから国土の3分の2に及ぶ広大な地域の石油掘
    削、販売、輸出を行う権利を買った。条件は8000ポンドと事業純益の16%を
    支払うというものだった。
1908年 探検家ダーシーはついにペルシャ南西部のアスマミ山のマイダン・
    ナフトゥーンに中東初の大油田を掘り当てた。
1909年 ダーシー (William Knox D'Arcy) がアングロ・ペルシャン・オイル・
    カンパニー (APOC) を設立、イランの油田操業を開始。
1914年 第1次世界大戦勃発。この戦争は先進諸国に石油の重要性を認識させた。
    イギリスの海軍大臣だったウインストン・チャーチルは、アングロ・ペルシャ
    石油会社の株を52.55%(200万ポンド)を買収し、半国営会社とした。
    1950年代までにイランの地下から吸い上げた石油による利益は、初期投資額の
    400倍を超えるとも言われているが、イラン国民は石油の恩恵をほとんど受け
    ていない。純益の16%もうやむやにされる。
1951年 イランが石油の国有化を宣言。反発したイギリスは、中東に軍艦を派遣し、
    石油買付に来たタンカーの撃沈を国際社会に表明する。
1952年 6月19日、イランの原油を積んだイタリアの「ローズ・マリー号」が、イギリ
    スの軍艦に拿捕され、イギリスの直轄植民地であるアデンに強制入港させら
    れ、そこで積み荷を差し押さえられた。

    その頃、敗戦した日本では米国による実質的な間接統治下にあり、石油を
    自由に輸入する事ができないでいた。それが戦後復興の足かせになっていた
    のである。
    同年日章丸(二世)竣工。重量トン数:19,074トン 当時日本最大のタンカー
    が建造された。

当時のセブン・シスターズ(メジャー)
1, スタンダードオイルニュージャージー(後のエッソ、その後1999年にモービルと
 合併しエクソンモービルに)
2, ロイヤル・ダッチ・シェル(オランダ60%、英国40% )
3, アングロペルシャ石油会社(後のブリティッシュペトロリアム、2001年に会社名
 の変更でBPに)
4, スタンダードオイルニューヨーク(後のモービル、その後1999年にエクソンと合
 併してエクソンモービルに)
5, スタンダードオイルカリフォルニア(後のシェブロン)
6, ガルフオイル(後のシェブロン、一部はBPに)
7, テキサコ(後のシェブロン)

 メジャーと呼ばれるセブン・シスターズに世界の原油を牛耳られていた時代、どこかと繋がっていないと原油を買えなかった。日本は当然アメリカから買っていた。というか、買うしかなかった。

 後にアーバーダーン危機と呼ばれたイランに対するイギリスの軍事力による経済制裁はイランを苦しめていた。日本政府としてはアメリカにはもちろん、翌年の1953年(昭和28年)6月2日はエリザベス二世女王の戴冠式に天皇の名代として皇太子の出席が決まっており、イギリスにも口を出せなかった。

 こんな背景の中で出光興産創業者である出光佐三は思った。
 
 泥棒はイランではなく、むしろイギリスではないか(海賊と呼ばれた男)、と。
 「世界の石油業界は『七人の魔女』と呼ばれる欧米の石油会社に長い間支配され続けてきた。イランはそれに立ち向かう勇気ある国である。イランはそのため厳しい経済封鎖を受け、彼を助ける者は誰もいない中、世界から孤立し、困窮に喘いでいる。」
 「イランの石油を買おう」

1950_ph001.jpg1953年 3月23日、日章丸二世が神戸港を
    極秘裏に出港した。行き先を知っ
    ていたのは船長と機関長の二人だ
    けであった。

    4月05日、コロンボ沖で暗号電文
    を受信し、全乗組員へ目的地を告
    げ、無線封鎖をする。当時として
    は大型タンカーだった為、本当に
    アーバーダーン港で原油を積み、イギリス海軍に拿捕されないで帰国できるか
    どうかは誰にも分からなかった。

    4月10日、イギリス海軍の警戒網をかいくぐり、アーバーダーン港に入港。
    翌日の地元新聞はイラン経済に希望を与えるものだと賞賛と歓迎の報道をし
    た。一方、AFP、ロイターも日章丸を報道し、世界が知るところとなる。

日章丸事件.jpg

あーばーだん.jpg

1953年 4月15日、ガソリンや軽油約2万2千kl積み込みアーバーダーン港を出港。船
    底部を擦りながら浅瀬を突破!オイルは米国よりも良質だった。

    4月16日、夜陰に紛れてホルムズ海峡を通過し、変則之字航行(敵のレーダー
    に映っても、どこへ向かっているのか分かりにくくする方法)しながらイギリ
    ス海軍によるアラビア海の警戒網をくぐりぬける。

    4月26日、大きく迂回しスンダ海峡を通過しイギリス海軍駆逐艦三隻を回避。
    同日、夜陰に乗じてジャワ海の危険な暗礁海域を通過しイギリス海軍を回避。

    4月29日、ガスパル海峡を通過。

    4月30日、南シナ海に到達し、無線封鎖を解除、出光と連絡を取る。

    5月07日、日章丸に撒かれたイギリスは即座にアングロ・イラニアン社より仮
         処分申請を東京地裁に提出した。

    5月09日、川崎港に到着。同日、東京地裁にて第一回の口頭弁論開かれる。通
         産省玉置次官、通産省はこの紛争に巻き込まれたくないとの見解を
         記者に述べる。

    5月13日、陸揚げを完了し、船の差し押さえを逃れる。
    5月14日、イランに向けて再度出港し、貿易を既成事実化する。
    5月16日、東京地裁にて第二回口頭弁論開かれる。
    5月27日、東京地裁、仮処分申請を却下。
    5月27日、日本外務省が政府は何ら関与しない旨を発表。
    6月    イラン政府、出光との当初の契約を見直し、石油価格を大幅減額で
         提供する旨を発表。
    6月07日、アーバーダーン港に再度到着。イラン政府高官、および数千人の民
         衆の出迎えを受ける。

 
因に1953年(昭和28年)、国会ではこんな事が有った。

 2月28日、衆議院予算委員会で吉田茂首相と社会党右派の西村栄一議員との質疑応答
      中に起こった「バカヤロー」発言。
 3月14日、衆議院バカヤロー解散。
 4月19日、第26回衆議院議員総選挙。

問題となった、吉田と西村の質疑応答の内容。
西村「総理大臣が過日の施政演説で述べられました国際情勢は楽観すべきであるという
   根拠は一体どこにお求めになりましたか」
吉田「私は国際情勢は楽観すべしと述べたのではなくして、戦争の危険が遠ざかりつつ
   あるということをイギリスの総理大臣、あるいはアイゼンハウアー大統領自身も
   言われたと思いますが、英米の首脳者が言われておるから、私もそう信じたので
   あります。(以下略)」
西村「私は日本国総理大臣に国際情勢の見通しを承っておる。イギリス総理大臣の翻訳
   を承っておるのではない。(中略)イギリスの総理大臣の楽観論あるいは外国の
   総理大臣の楽観論ではなしに、(中略)日本の総理大臣に日本国民は問わんとし
   ておるのであります。(中略)やはり日本の総理大臣としての国際情勢の見通し
   とその対策をお述べになることが当然ではないか、こう思うのであります」
吉田「只今の私の答弁は、日本の総理大臣として御答弁致したのであります。私は確信
   するのであります」
西村「総理大臣は興奮しない方がよろしい。別に興奮する必要はないじゃないか」
吉田「無礼なことを言うな!」
西村「何が無礼だ!」
吉田「無礼じゃないか!」
西村「質問しているのに何が無礼だ。君の言うことが無礼だ。(中略)翻訳した言葉を
   述べずに、日本の総理大臣として答弁しなさいということが何が無礼だ! 答弁で
   きないのか、君は……」
吉田「ばかやろう……」(自席に戻る際ボソッと呟くように吐き捨てる)
西村「何がバカヤローだ! バカヤローとは何事だ!! これを取り消さない限りは、私はお
   聞きしない。(中略)取り消しなさい。私はきょうは静かに言説を聞いている。
   何を私の言うことに興奮する必要がある」
吉田「……私の言葉は不穏当でありましたから、はっきり取り消します」
西村「年七十過ぎて、一国の総理大臣たるものが取り消された上からは、私は追究しま
   せん。(以下略)」


 通産省がこの紛争(日章丸事件)に巻き込まれたくないと記者に述べたり、日本外務省が政府は何ら関与しない旨を発表したり、今も昔も日本の政治は変わってませんね。

新セブンシスターズ
1 サウジアラムコ(サウジアラビア)
2 ペトロナス(マレーシア)
3 ペトロブラス(ブラジル)
4 ガスプロム(ロシア)
5 中国石油天然気集団公司(中国)略称:CNPC、中石油、ペトロチャイナ
6 イラン国営石油(NIOC)(イラン)
7 ベネズエラ国営石油会社(PDVSA)(ベネズエラ)


 日本の政治は変わってませんが、時代は変わるものです。生きている人達がつくるものだから。

日章丸_(タンカー・3代)

日章丸事件

日章丸事件 出光

第3節 中東石油資源の発見と共同支配

歴史における転換点、イランの石油国有化記念日

国際石油資本

バカヤロー解散

昔のタンカーの話




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朗読 海賊と呼ばれた男 その1
朗読 海賊と呼ばれた男 その2
朗読 海賊と呼ばれた男 その3
朗読 海賊と呼ばれた男 その4
朗読 海賊と呼ばれた男 その5

posted by てっち at 06:47 | 青森 ☁ | Comment(9) | TrackBack(0) | 第三日新丸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月13日

このお尻は第三日新丸

第三日新丸.png

おやじメモ なし


 二冊目のアルバムは、おやじのメモ書きが少ないです。
 家族や親戚との写真も混じっているので、捕鯨関係を主に載せたいと思います。
 この写真は、お尻に特徴があって、第三日新丸であろうと思われます。間違いないでしょう。
 手前のタンカーらしき船から撮っているようですが、メモが無いのでこちらの船は分かりません。
 ひょっとすると、前ページの船かもしれませんね。
 背景の山が分かれば場所が分かるのですが、残念ながら確認出来ず。
タグ:第三日新丸
posted by てっち at 09:40 | シンガポール ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 第三日新丸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月26日

第三日新丸

img052.png

おやじメモ

 かつては第三日新丸(大洋) 九州男児の社長が何故に私とコンビを組んだのか、村野七男氏。
 同室二人で十有余年、教えられた社長の訓示。


 
 大洋漁業といえば、そのルーツは1880年(明治13年) 中部幾次郎氏まで遡る事になるが、おやじメモにある村野七男氏の名は出てきませんので、おそらく村野氏のご実家が九州にあり、何かご商売をなさっているとか、社長は渾名ではないかと思われます。
 きっとおやじはこの方から十数年いろいろと教えを頂いていたのでしょう。
 写真は第三日新丸のようです。

DSCN1924.jpg
 こちらは第三日新丸最後の商業捕鯨時の写真
posted by てっち at 13:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 第三日新丸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする