2013年02月03日

横須賀港入港記念

img横須賀港.jpg

おやじメモより

 昭和30年4月5日 横須賀入港記念 左より 石村さん 福岡
                      小山さん 奈良
                      森部さん 東京
                      自 分 4年生




 昭和30年は日進丸ではなく錦城丸かと思います。
 写真を拡大すると、祝いの花に「錦城丸」と書いてますね。
posted by てっち at 15:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 綿城丸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月22日

シンガポールにてパイナップル

imgパイナップル,シンガポール.jpg

おやじメモより

 30年11月22日 シンガポール港にて 左より 九 州 山本君、
                            自分、
                       鹿児島 森?君、
                       茨 城 日下君
         あつい〜〜〜。




 おやじ27歳ですね。
 シンガポールといえば
シンガポール.jpg

シンガポール2.jpg

シンガポール港.jpg

 1955年(昭和30年)のシンガポール

シンガポール基本情報より

シンガポールの歴史 1.伝説の時代
 マジャパイト王国(13〜16C)に服属する国々の中に、シンガポールの古名「トゥマセ」の記述あり 「漁業」と「海賊行為」と「貿易」で成り立っていた。
 14世紀末、マラッカ王国の建設者パラメスワラが、マジャパイトの攻撃から逃れ、5年間過ごした「獅子の町」シンガプーラ
 その後は「見捨てられた小さな漁村」あるいは「悪名高き海賊のすみか」として、約400年間、歴史の舞台に登場することはなかった

シンガポールの歴史 2.植民地シンガポールに建設
ポルトガル
 1511年 ポルトガルの艦隊がマラッカに到着。マラッカ王国滅亡 ポルトガルは香料貿易を中心とする東洋貿易を独占
オランダ
 1602年 東インド会社設立
 1619年 ジャカルタ占領、バタヴィアと名づけ総督府を置く
 1641年 ポルトガルからマラッカを奪い、東洋貿易を独占
※1648年 オランダ独立(北部7州がネーデルラント連邦共和国の独立を宣言。スペインからの独立)
イギリス
 1600年 東インド会社創設
 カルカッタ(インド)を拠点とするが、至るところでオランダの妨害に
 1682年 西スマトラのベンクーレンに商館設立
※18〜19世紀に飲茶の習慣から中国貿易が始まる(中国・インド・イギリスの三角貿易)
 これによりマラッカ海峡の重要性高まる

シンガポールの歴史 3.ラッフルズの上陸と英国領としての発展
 1819年1月29日 英国軍人ラッフルズがシンガポール島に上陸
 上陸当時、「120人のマレー人と30人の中国人が住んでいた」(ラッフルズの記録による)
 1824年 人口1万683人。1836年には中国人がマレー人を上回る
 ラッフルズによる新しい都市の建設/英国法に基づく法令整備/エスニック・グループ別の居住区
 1824年 シンガポールをすべて東インド会社に委譲 → のちにイギリス直轄(1858)
 1824年 英蘭条約 インド・マレー半島・シンガポールはイギリス領、東インド諸島はオランダ領として分割される

シンガポールの歴史 4.英国領としての発展(不干渉政策の放棄と植民地の形成)
 1832年 シンガポールが海峡植民地(ペナン、マラッカ、シンガポール)の首都となる
 1874年 パンコール条約(駐在官制度の導入。英国の積極的な介入開始)
 → 爆発的な人口増大。中国人労働者「苦力(クーリー)」や日本人娼婦「からゆきさん」が登場

シンガポールの歴史 5.日本の侵略・統治時代
 1941年12月8日 マレー半島コタバルへ日本軍上陸(真珠湾攻撃よりも先に開戦)
 1942年2月15日 シンガポール陥落(イギリス軍の敗退)
 「昭南島」として3年6ヶ月の軍政 中国に肩入れしたと判断されたシンガポール在住の中国系移民(華人)に対して、日本軍の厳しい「検証」が行なわれる

シンガポールの歴史 6.英国による再統治と独立への道
 1945年9月5日 イギリスの軍政下に
 1946 年10月 英国が「マラヤ連合」構想発表 4連合州、5非連合州、マラッカ、ペナンを、全て一つの政治組織「マラヤ連合」にまとめ、各州のスルタンの権限を奪い、総督の下で中央集権的直轄統治を実施。シンガポールは「マラヤ連合」から切り離し、英国の直轄植民地にするという構想
     ▼

 1948 年2月1日 「マラヤ連邦」誕生 マレー半島で、「マラヤ連合」構想への反対運動が起き、「マラヤ連邦」成立 華人の多い(78%)シンガポールは「マラヤ連邦」には加わらず、直轄植民地のまま残された 理由1)戦略的に重要な海軍基地シンガポールを、英国は手放したくなかった 理由2)マラヤのマレー人指導者たちが、シンガポール受け入れを渋った
 1955年 部分自治開始(デビッド・マーシャル首相)
 1959年 完全自治に移行(リー・クワンユー首相)
 1961年 マラヤ連邦、「マレーシア連邦案」を提唱 マラヤ、シンガポール、イギリス領ボルネオを統合する考え
     ▼

 1963 年 シンガポール、マレーシア連邦の一員に しかし、シンガポールとマレーシア連邦との経済的、政治的な差はあまりにも大きく、ことにマレー人優先政策をとるマレーシア政府と、各エスニック・グループの平等政策をとるシンガポール政府との対立は克服できなかった。
     ▼

 1965年8月9日 シンガポール独立

 という歴史の中の1ページなわけですね。(日本軍云々の話はここでは取り上げません)

1955年の日本国内では
 11月15日 - 社会党の再統一に刺激され、二大保守政党の自由党と日本民主党が合併し、自由民主党が誕生する(保守合同)。その後38年間続いたいわゆる55年体制の幕開けとなる。
 11月22日 - 第23回臨時国会召集(12月16日開会)
 アメリカでは、12月1日 - モンゴメリー・バス・ボイコット事件(1955年、ローザ・パークス)があった。


 それでは最後に現代のシンガポール港の動画です。


 捕鯨船の乗組員達は、日本だけでなくこういう港町の成長も見ていたのでしょうね。

 おまけ。下図はおやじが録画していた捕鯨の番組から写しました。
NEC_0045.JPG

posted by てっち at 14:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 綿城丸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月19日

めおとこけし

img019夫婦こけし.jpg

おやじメモより

 赤道運動会 錦城丸にて第一位制作 右日下君 左自分
       自分が作って日下君と一位、工場課長堤畑?氏が大喜び



 赤道際で仮装大会もやっていたようですね。
 
posted by てっち at 14:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 綿城丸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月17日

綿城丸にて

img006.jpg

おやじメモより

 昭和二十九年十一月赤道にて 右国元 四国香川
               左日下 茨城



第一日新丸(のちの綿城丸

 三菱重工業長崎造船所で大阪商船の石油タンカーである3TL型戦時標準船大攬丸(だいらん丸)として建造中に長崎市への原子爆弾投下に遭い放置。終戦後の南極海捕鯨再開に伴い、大洋漁業が購入して捕鯨母船へ改造し第一日新丸と改名、1946年10月15日に完成させた。
       
1946(昭21)  建造中に大洋漁業(東京)に売却、捕鯨母船(第1350番船)として完工、
       第一日新丸 NISSHIN MARU No.1 と改名。同年12月戦後第一次南氷洋
       捕鯨に長崎より出港。
1948.8(昭23)  主機をD 三井B&W 5,400BHPに換装
1951.6.11(昭26)油槽船に改造、錦城丸 KINJO MARU と改名。B.V.船級取得改造工事
1954.4.30(昭29)再度、川崎重工業(神戸)で捕鯨母船に改造。
1958.10(昭33) 主機をD 川崎M.A.N.K9Z 70/120C 8000BHPに換装
1965.3(昭40)  解体のため三菱商事(東京)に売却、大阪で解体

       総トン数:11781トン
       全  長:150.8メートル
       全  幅:20.4メートル
       喫  水:12.0メートル

第一日新丸(綿城丸)/大洋漁業株式会社

 若者が日本を支えていた時代ですよね。
タグ:綿城丸
posted by てっち at 12:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 綿城丸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする