2014年03月12日

第13次南氷洋捕鯨 赤道ニテ

img083.jpg


おやじメモ

 シンガポール少し過ぎた夕刻 ほぼ赤道直下

 写真に直接 33.11.28 赤道ニテ のメモ



 第13次南氷洋捕鯨ですね。いざ南氷洋!
シンガポール1.jpg

 ひょっとすると、赤道際の真っ最中かも知れませんね。


日新丸の赤道祭 赤道

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2014年01月04日

船の窓はなぜ丸い?

img070.jpg

おやじメモ

 なし


 普通、地上に建築される建物は窓が四角ですよね。ところが船の場合は船体が大きくなるほど、また船底に近いほど窓が丸くなっています。
 地上の建物の場合は、加わる力が上から下へ一直線ですよね。
 ただし、地震が起こると左右に揺れ、柱だけでは四角が菱形となり家が倒れてしまいます。そこで写真のように筋交いを入れて横揺れに対応しているのです。
450px-Sujikai.jpg



 船の窓を舷窓といいます。船体の場合は波に揺られてねじれたり、歪んだりします。窓に加わる力は一方向からだけでないので、丸形が使われるようになりました。
 役割としては採光と換気ですが、船底に近い場合は舷窓を閉じると海水や風雨が全く入ってこないように頑丈に作られています。
まど.jpg


 窓の奥に見える船は第三天洋丸のようです。
 右手前はキャッチャーボートですね。海上給油でもしているのかも知れません。

タグ:舷窓
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2013年12月07日

太田君

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おやじメモ

 太田君 あついね〜



 赤道付近なのでしょう。
 普通、南国=暑いところというイメージがありますが、南半球の人にとっては南へ行くほど寒いんですよね。

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2013年11月27日

野球

img068.jpgimg071.jpg

おやじメモ

  赤道際 野球大会



 野球やってますね。
 赤道祭で100m競争するぐらいですから出来ると思いますが、ホームラン打ったらボールは拾えませんね。

wikipediaによると
1957年(昭和32年)のスポーツ
大相撲(幕内最高優勝)
    初場所:千代の山雅信
    春場所:朝汐太郎
    夏場所:安念山治
    秋場所:栃錦清隆
    九州場所 玉乃海太三郎
プロ野球
    セントラル・リーグ優勝 読売ジャイアンツ
    パシフィック・リーグ優勝 西鉄ライオンズ
    日本シリーズ優勝 西鉄ライオンズ(4勝0敗1分)

1957年のヒット曲
    島倉千代子『東京だよおっ母さん』


    フランク永井『有楽町で逢いましょう』



    青木光一『柿の木坂の家』


タグ:野球
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2013年11月12日

錦城丸 船尾

img067.jpg

おやじメモ

 昭和四十年頃、中国の揚子江のドロ運搬船に売られた。無念



 このメモがよく分からないのです。

 そもそも錦城丸は、三菱重工業長崎造船所で原爆に遭い放置されていた大阪商船の3LT船大攬丸(だいらん丸)を大洋漁業が購入改造し、1946年(昭和21年)10月15日に捕鯨母船(第1350番船)として完成。第一日新丸 NISSHIN MARU No.1 と改名し、同年12月戦後第一次南氷洋捕鯨に長崎より出港。 
 1948年(昭和23年)8月、主機をD 三井B&W 5,400BHPに換装。    
 1951年(昭和26年)6月11日に油槽船に改造し錦城丸と改名。B.V.船級取得改造工事。
 1954年(昭和29年)4月30日再度、川崎重工業(神戸)捕鯨母船に改造。
 1958年(昭和33年)10月、主機をD 川崎M.A.N.K9Z 70/120C 8000BHPに換装。
 1965年(昭和40年)3月に不稼動船となり、解体のため売却しのちに大阪で解体された。
 と、資料には有るのです。

 昭和40年は合ってますが、大阪と中国ではずいぶん違いますよね。
 ひょっとすると別の船とごっちゃに成っているのかも知れません。
 それにしても船尾の形に特徴ある捕鯨母船ですよね。



タグ:錦城丸
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2013年09月09日

こっそりとパチリ 鯨の俎板

img060.jpg


おやじメモ

 なし



 錦城丸の甲板(俎板)ですね。
 ここで鯨を解体するのはもちろん、赤道際や出港・帰港の式典など、様々な事に使われています。

捕鯨母船の甲板については、こちら
日新丸 田浦港にて

タグ:捕鯨母船
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2013年06月30日

赤道直下

赤道直下.jpg

おやじメモ

 赤道直下



 錦城丸です。

http_.jpg

 日本を離れて約10日。
 おそらく、三日間行われる赤道際の合間に撮ったのでしょう。
 もうすぐシンガポールですね。
 日本を離れて約一ヶ月で南氷洋に到着します。

タグ:赤道直下
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2013年06月14日

昭和三十二年四月十日 横須賀港入港記念

大洋漁業アルバム.png

 太地の古式捕鯨を思い浮かべるようなアルバムの表紙と裏表紙です。 
 下は中表紙です。

大洋漁業株式会社.png


 第十一次南氷洋捕鯨は昭和31年(1956/57)出港なので、入港した頃は翌年の春なんですね。
 この頃鯨探知機が使用されるようになり、大洋漁業では第十一次で実験的に使用され、第十二次(昭和32年出港)南氷洋捕鯨でのテスト結果がよかったことから、その後本格的に使われるようになったようです。
 
 戦後日本の捕鯨技術は見る見る向上し、捕鯨母船はこの第十一次南氷洋捕鯨時で、大洋漁業の日新丸(二代目)と錦城丸(昭和29年から北洋)、日本水産は図南丸に松島丸(13,800t,中積油槽船改造、のち第二図南丸と改名)を加え、いろいろあった極洋が第二極洋丸(16,6433t,パナマ国籍のオリンピックチャレンジャー船団を購入)を投入し、日本は5船団体制になった。

 翌昭和32年の第十二次には、大洋漁業が第二日新丸(元南アフリカ共和国船籍のアブラハム・ラーセン)を加えて6船団とし、ついに戦前と同じ水準まで回復した。
Huseby-9-web-1.jpg
アブラハム・ラーセン


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2013年03月12日

錦城丸船尾 から 旧横須賀軍港

錦城丸,旧横須賀軍港.jpg

おやじメモより

 昭和31年4月2日横須賀港、錦城丸船尾にて
 見えるタンカー船はオランダー船、背後の山は旧横須賀軍港の跡
 (荷役中)

 


 
9470364.png←タンカーって、こういうのじゃないの?
 写真に写っているタンカーって、妙に小さいですよね。
 調べてみたらそれもそのはずでした。
 どうやらタンカーは、1955年(昭和30年)までは大きいものでも6万トン以下だったようです。

Google-Earthすえず.jpgスエズ運河(クリックすると拡大します)
 このスエズ運河がタンカーの大きさを決めていたようです。
 タンカーに限らず、スエズ運河は紅海と地中海を結ぶ重要な運河であり、アジアとヨーロッパ間をアフリカ大陸を回らずに結ぶ近道として非常に価値が高い(利便性)運河です。
 歴史は紀元前1897年まで遡り、エジプト第12王朝ファラオのセンウセルト2世や3世がナイル川と紅海を繋ぐ運河の建設に乗り出したと言われている。但しこの時代はティムサ湖も海域でした。
 歴史は近代に入り、1869年11月。ポートサイドと南端のスエズ市を結ぶスエズ運河が開通しました。門がないのが特徴です。
 建設当初のスエズ運河は全長164km (102mile)、深さ8m (26feet) だったが、その後何度かの拡張工事を受け、2010年段階では全長193.30km (120.11mile)、深さ24m (79feet)、幅205m (673feet) となったようです。
 スエズ運河では、バイパスや湖などの5カ所意外では船舶のすれ違いが出来ません。殆どの場所が南北交互に方向を変える一方通行となります。そういう事情からスエズ運河では、グループ(10-15隻程度)ごとに航行し、単線の電車と同じように、バイパスや湖で向かってくるグループが来るまで待って先へ進みます。

Bainbridge_in_Suez.jpg スエズマックスとは通行出来る船舶の基準です。現代では喫水20m(66feet)以下または載貨重量数240,000トン以下かつ水面からの高さが68m(223feet) 以下、最大幅77.5m(254feet) 以下となっています。
 昭和30年の頃(上限規制は載貨重量43,000トン型)よりは大きくなってますが、それでも超大型のタンカーは航行できません。
 また、昭和30年はまだタンカーが大型化していませんでした。
 第二次世界大戦中は米国にて量産されたT2タンカー(約1.65万t)クラスが標準だったようです。
 第二次世界大戦後、こうしたタンカーは数十年にわたり商業目的で使用され、多くは国際市場で売却されています。

主なタンカーの大きさ (1908-1958)
 1908年 虎丸、531総トンで油槽容量は400トン、大阪鉄工所櫻島製による日本初
      タンカー
 1922年 干珠丸 、8,200重量トン、129m
 1931年 帝洋丸 、13,960重量トン、150m
 1938年 黒潮丸 、14,960重量トン、153m
 1951年(昭和26) 就航 日章丸(二世)、18,774重量トン、IHI呉、出光興産
 1955年(昭和30)就航 シンクレア・ペトロ・ロア 、55,000重量トン、全長230m
 1956年(昭和31年) ユニバース・リーダー 、85,500重量トン、全長248m
 1958年(昭和33年) ユニバース・アポロ、103,000重量トン、全長287m、IHI呉
 世界初の10万トン級タンカーです。


アフリカ.jpg

 さて、こんなに便利なスエズ運河ですが、1956年(昭和31年)10月29日、イスラエル軍がエジプトに侵入し第二次中東戦争が勃発。翌10月30日、エジプト軍がスエズ運河を通航不能にしました。これが因と成って、どの船も近道できなくなったわけです。
 止むを得ずアフリカを迂回する事になったことで、輸送効率を上げるためにタンカー主達が大型化を進めました。これによってスエズマックスから解放された造船業界では、多くの船を手がけた日本が英国を抜いて「世界一の造船大国」と云われるようになるのです。

世界一といえば、世界一大きいタンカーは?
 1950年代のうちに10万トンを超えたタンカーが60年代には20万トン級が建造されます。

 1962(昭和37)年7月10日進水「日章丸(三世)」13万1,000重量トン、全長291m、佐世保
    重工、出光興産。幅43m。 深さ22.2m。航海速力16ノット。出力2万8千馬力。
 1966(昭和41)年「東京丸」15万3,687重量トン、全長306m、IHI横浜、東京タンカー
 1966(昭和41)年就航「出光丸」 21万重量トン、全長342m、IHI横浜、出光興産

 世界初の20万トン級タンカーです

 そして70年代に入ると30万トン級、40万トン級、50万トン級へと進化します。

 1971(昭和46)年4月進水 日石丸、37万2,400重量トン、347m、IHI呉、東京タンカー
 1972(昭和47)年 グロブティック・トーキョー、48万3,644重量トン、全長379m、
          IHI呉
 1975(昭和50)年 日精丸、48万4,276重量トン、全長378.35m、IHI呉、東京タンカー
          238,517.49G/T、型幅62.00m、型深36.00m
 1976年 バティラス、54万2,400重量トン、全長400m フランス
 1979年12月3日 シーワイズ・ジャイアント、42万重量トン、全長377m


そして80年代、シーワイズ・ジャイアントが船体延長されました。

船歴
 1979年12月3日 住友重機械追浜造船所で竣工
 1980年7月〜12月12日 日本鋼管(NKK)津製作所で船体延長。
      重量トン数:42万(422,039DWT)から56万(564,763DWT)重量トンへ
      総 ト ン 数:189,110GTから260,851GTへ
      全   長:377mから458.45mへ
       幅   :68.8m 変更なし
 これで世界最大の船舶となる(総トン数ではバティラス級の方が大きいので5位)。
 1988年 イラン・イラク戦争で損傷。
 1989年 「ハッピー・ジャイアント」[Happy Giant]と改名。
 1991年 「ヤーレ・ヴァイキング」[Jahre Viking]と改名。
 2004年 「ノック・ネヴィス」[Knock Nevis]と改名。FSO(浮体式海洋石油・ガス
      貯蔵積出設備)として使用。

 2010年 解体

 この当時日本でも、100万トン級タンカーの計画があったようですが、タンカーの大型化はシーワイズ・ジャイアントをピークに次の時代へ入ります。そして日本は、1986年(昭和61年)のバブル景気に突入してしてゆきます。

OOCL Seawise Giant World Longest Supertanker 1979


船舶の大きさ比べ
タンカー.png

 造船技術が上がった現代では、燃費向上、人員減少、海峡通過、輸送コスト、リスク管理などから30万トン級が主流になっているようです。マラッカ海峡を通り、最短オイルロードを使うには、それぐらいの大きさが丁度良いということでしょう。
現代のオイルロード
オイルロード.png

 News2u.net(2012年04月06日)によると「近い将来、オイルタンカーの燃料効率やバラスト水処理システムに関する規制が施行される見通しで、企業はタンカーをアップグレードするか、改造する必要があると予想されます。」

 これでまた日本が造船で稼げるようになるといいですね。因にタンカーの寿命は20年位だそうです。

 さてさて、おやじの写真に写っている船をネット上で調べた結果、一番近そうなのがこれでした。
 オランダ アクセルダイク(貨物船)です。

SCA_Axeldijk.jpg

船歴 (↑船舶模型 Modelship.jp 写真をクリックすると飛びます)
 1945年2月進水したアメリカ軍用の戦時標準船ビクトリー・シップの「コルビー・ビクトリー」をオランダ・アメリカライン社が1947年購入し運用した貨物船。
1965年6月にパナマへ売却、リベリア船籍「モニーク」となった。
1971年台湾にて解体された。


 タンカーとは液体を運ぶ船という意味なので、おやじの写真に写っている船が液体を運んでいればタンカーですが、よく見るとクレーンが多い気がするんですよね。T2タンカー系かとも思いましたが、もしかしたら貨物船かもしれません。あるいは日本で貨物船になったか、ですね。

旧横須賀軍港の跡については、おそらく現「ヴェルニー公園」付近のことを言っているだろうと思われます。
 この公園は1946年(昭和21年)に「臨海公園」として開園しました。
 2001年(平成13年)にフランス式庭園の様式を取り入れてリニューアルオープンした時に「ヴェルニー公園」と命名されたようです。名称は横須賀造兵廠その他の近代施設の建設を指導し、日本の近代化を支援したフランス人技術者レオンス・ヴェルニーに由来します。
 この公園の中に、かつての旧軍港への入口として多くの軍人が行き交った旧横須賀軍港逸見波止場衛門が有ります。
 もし、錦城丸が逸見波止場衛門の方向を向いていたとしたら、下記のような場所から写真を撮ったのではないかと思われます。横浜ベイスターズ総合練習所が有るのもミソです。
 その昔、この場所は大洋漁業の倉庫が有った場所であることが分かりました。

長浦町.jpg

大洋漁業と野球の歴史
●1949年(昭和24年)11月 プロ野球球団「まるは大洋球団」を結成し、セントラル・リーグに加盟。
●1950年(昭和25年)7月 大洋漁業株式会社が株式会社林兼商店を合併。「まるは大洋球団」を「大洋ホエールズ」に改称。
●1993年(平成5年) マルハ株式会社と商号変更。「大洋ホエールズ」球団を「横浜ベイスターズ」に改称。

 この辺に捕鯨母船を停泊させて、倉庫から資材を小舟で運んでいたのかも知れませんね。

 次回横須賀へ行く事が有ったら、是非山を見てみたいですね。


参考資料
wikipediaでタンカーT2 タンカースエズ運河ノック・ネヴィスヴェルニー公園横浜DeNAベイスターズ総合練習場

世界の写真 船旅でだけ、体験できる風景よりスエズ運河(アスカ2)
出光タンカー株式会社
全国内航タンカー海運組合
共栄タンカー株式会社
「シーワイズ・ジャイアント」[Seawise Giant]
文部科学省
戦後建造大型タンカー技術発展の系統化と資料調査 - 国立科学博物館 pdf
オランダ アクセルダイク(貨物船)船舶模型
News2u.net
横須賀の文化・歴史
横須賀市 旧海軍軍需部と長浦
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2013年02月15日

抹香クジラの尾の上で

抹香クジラ.jpg
おやじメモより

 昭和31年1月20日 抹香クジラ(オス)の尾の上にのぼり撮る
          撮影:金田一の木村君



昭和31年 (1956年) のできごと
1月1日 - スーダンがイギリスから独立。
1月1日 - 新潟県彌彦神社の新春餅まきに初詣客が殺到。124人圧死(彌彦神社事件)。
1月20日 - 将棋の王将戦で升田幸三が大山康晴名人を相手に香を引いて勝利。
1月27日 - エルヴィス・プレスリーが第6弾シングル「ハートブレイク・ホテル / アイ・
     ワズ・ザ・ワン」をリリースした。この曲は同年4月、チャート8週間1位に
     輝いた。
         
1月28日 - 「万国著作権条約」公布。(C) マークを制定。
1月31日 - コルティナダンペッツォオリンピックスキー回転で日本の猪谷千春が銀メダ
     ル。冬季五輪で日本初のメダル。
2月6日 - 日本で出版社では初の週刊誌となる「週刊新潮」(2月19日号)が新潮社から
     創刊。
3月15日 - ニューヨークでブロードウェイミュージカル「マイ・フェア・レディ」の
     公演開始。
3月20日 - チュニジアがフランスから独立。
3月23日 - パキスタンが最初のムスリムによる共和国となる。
4月1日 - シチズン時計が耐震装置付き腕時計「パラショック」を発売。
4月18日 - 日本で初の人工心肺を用いた開心術成功(大阪大学)。
5月1日 - 日本で水俣病第一号患者公式確認。
5月3日 - 第1回世界柔道選手権大会が東京の蔵前国技館で開催される。
5月14日 - トヨタ自動車が「ダイナ」の源流である「トヨペット・ルートトラックRK52
     型」を発売。
6月1日 - 大阪市営地下鉄四つ橋線の花園町駅 - 岸里駅間が開業(1972年全線開業)。
6月21日 - 沖縄銀行設立。
6月28日 - ポズナンでポーランド反ソ暴動起こる。
6月29日 - アメリカ合衆国で連邦補助高速道路法が施行される。
6月30日 - 新市町村建設促進法施行。
6月30日 - グランドキャニオン空中衝突事故。
7月8日 - 第4回参議院議員選挙投票。
9月1日 - 日本の横浜市・名古屋市・京都市・大阪市・神戸市の5市が初の政令指定都市
    となる。大阪府和泉市と奈良県桜井市が同時に発足。
9月10日 - 魚津大火、魚津市。
10月19日 - 日ソ共同宣言。
10月23日 - ハンガリー動乱勃発。
10月23日 - フランス保護領ザールで住民投票が行われ、その結果西ドイツ復帰支持が多
     数を占めた。
10月28日 - 大阪の通天閣が再建される。
10月29日 - イスラエル軍がエジプトに侵入し、第二次中東戦争が勃発。
10月30日 - 午後、ロンドンで英国政府により、スエズ運河から少なくとも16km内陸に
     入った地点まで兵力を撤収するという最終通告がイスラエル、エジプト両国
     代表に手渡された。この時点でエジプトは運河を完全に占拠しており、イス
     ラエル軍はそこから約50kmの地点にいたため、この通告は事実上エジプト
     に対する運河からの撤去命令であり、英仏の目論見によるものであった。
     ナセルは苦しい立場におかれたが、結局通告を拒否して徹底抗戦の意思を表
     し、エジプト軍は、スエズ運河を物理的に通航不能にさせる実力行使に出
     た。すなわち、艦船を運河に沈めてバリケードを築いたのである。
11月1日 - キヤノンが8mmカメラ「シネ8-T」を発売。
11月12日 - 第25臨時国会召集(12月13日閉会)。
11月12日 - コカ・コーラ初のボトラー、東京コカ・コーラボトリング(当時の社名:東
      京飲料)設立。
11月19日 - 東海道本線の全線直流電化が完成。大ダイヤ改正を実施。
11月22日 - メルボルンオリンピック開幕。
12月1日 - 日本で中部日本放送テレビ、大阪テレビ放送が開局。
12月2日 - カストロらがキューバに上陸しゲリラ作戦を開始。
12月6日 - メルボルンオリンピック: メルボルンの流血戦
12月18日 - 日本が国際連合に加盟。
12月20日 - 日本にて第26国会召集(1957年5月19日閉会)。
12月30日 - 11月から続いた藤村排斥事件(阪神の主力選手12人が藤村富美男監督の解任
      を要求)、主力選手が藤村監督に謝罪して収集。
posted by てっち at 14:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 綿城丸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする