2014年07月07日

佐世保湾 佐世保重工業株式会社

img100 .jpeg

おやじメモ

 なし



 メモはありませんが、この特徴ある地形。ここは佐世保湾です。
 
 さて、撮影場所は地図上の北にある弓張岳(ゆみはりだけ:標高は364m)付近だろうと思います。当時どこまで整備されていたのか分かりませんが、頂上付近にある弓張岳展望台あたりから撮っているように思います。手前右に人が写ってますね。細い登山道が有ったのかもしれません。

歴史
 海上自衛隊佐世保地方隊さんから写真をお借りします。
1-1.jpg
佐世保港海軍用地之図(佐世保市図書館所蔵)


1889(明治22)年、佐世保鎮守府開庁に伴い、軍艦の建造や兵器の製造を所掌する造
         船部と兵器部が鎮守府内に設置されました。
1893(明治26)年、船渠(ドック)の築造工事が始まり、約2年半を費やして第1船
         渠(石積み)が完成しました。
1897(明治30)年、佐世保鎮守府造船部は佐世保海軍造船廠に改編され、日清戦争期
         までに、小口径砲、砲架信管、薬きょう、水雷等も製造できるよ
         うになりました。また、船渠も1902(明治35)年までに、第1・
         第2水雷艇船台、第1・第2船台、第2船渠(コンクリート造り)
         が完成し、ドイツやイギリスで製造された水雷艇が佐世保で盛んに
         組み立てられました。
1903(明治36)年、日露戦争直前のこの年、佐世保海軍造船廠は、艦船・兵器の製造
         修理、購入、実験、検査等を一カ所で迅速に行う必要性から佐世
         保海軍工廠に改編されました。軍備拡張に伴う軍艦の大型化が図ら
         れ、これに対応するために、佐世保海軍工廠においては船渠の築造
         が更に進む。
1905(明治38)年、第3船渠が完成。
1913(大正2)年、第4・第5・第6船渠が相次いで完成しました。また、イギリスの
         サー・ウィリアム・アロル社で製造された250トンクレーンも竣
         工し、艦船の修理、艤装等に使用されました(同クレーンは、
         100年以上が経過した現在でも、艦船の建造、修理等に活躍してい
         ます。)。
1918(大正7)年、大蛇島、小蛇島、立神崎を埋め立て、1万トン級の軍艦9隻を同時
         に横付けできる立神係船岸壁が完成し、艦艇建造の技術も急速に確
         立されました。
1941(昭和16)年、佐世保海軍工廠で最大の第7船渠(全長340m、幅51m)が完成
         し、この年の7月に同船渠において、戦艦「武蔵」の艤装工事が行
         われました。
         終戦までに、佐世保海軍工廠で建造された艦船は、軽巡洋艦、駆逐
         艦、潜水艦など88隻を数え、また、総員数の最も多かった年に
         は、約46,000人(昭和19年)が従事しました。
1945(昭和20)年、終戦により佐世保海軍工廠は閉鎖。
2-1.jpg
昭和20年 終戦時の佐世保海軍工廠配置図


1946(昭和21)年、10月、同施設を活用した佐世保船舶工業株式会社(SSK)が
         創設され、戦後処理としての帝国海軍艦艇の解体作業や復員輸送
         船の整備等が行われました。
1959(昭和34)年、8月31日。倒産の危機にあった佐世保重工業が、香港の海運会
         社「東方海外貨櫃航運公司(董浩雲社長)」より受注していた
         7万t級タンカー「オリエンタル・ジャイアント」が完成。
1961(昭和36)年、佐世保重工業株式会社に社名が変更され、佐世保海軍工廠から
         受け継がれた伝統と技術を活かしつつ、新たな時代へと変革を進
         め、日本を代表する造船企業へと発展しました。
1962(昭和37)年、5月、国有財産第2次払下げを受ける。
         10月、当時世界最大のタンカー「日章丸」(132,334DWT)を
         竣工。

 昭和20年の佐世保海軍工廠配置図を見ると、ドックに振り分けられている番号が現代とは違うようですね。戦後、佐世保船舶工業株式会社(SSK)が誕生する時に変更したのでしょう。

佐世保重工業(株)佐世保造.jpg
別窓で拡大します


佐世保の歴史

 空襲で明けた昭和20年、何もかも失った。
 政府が「本土決戦」を唱える中、米軍による空襲が激化する。女、子供まで駆り立てて「一億玉砕」が叫ばれた。
 7月、連合国は日本に無条件降伏を要求したが、政府はそれを無視した。
 8月6日、広島にウラン235型原爆( リトルボーイ )がB-29米軍爆撃機エノラ・
     ゲイより投下。昭和20年12月末までに、約14万人が死亡。広島市.
   8日、ソ連が日本に宣戦した。
   9日、長崎にプルトニウム型原子爆弾(ファットマン)がB-29米軍爆撃機ボック
     スカーより投下。昭和20年12月末までに、死者73,884人.負傷者74,909人。
 8月14日、日本はポツダム宣言を受け入れ、連合国に無条件降伏することを決定、翌
     日国民に玉音放送を通して知らせた。
 「戦争が終わった!」
 敗戦は人々に平和と自由をもたらした。(←この瞬間はそうだったかもしれない)徴用や動員は解除され、人々は先を争うようにして家族の待つ故郷の家へ、田畑へ、学校へと帰って行った。
 海軍は解体され、兵士は故郷へ帰り、軍の諸施設は極端に人員が減った。
 毎日のように市からの人口の流出はつづいた。食糧難や住宅難も大きな原因であった。空襲前までは30万人ともいわれた市の人口は、昭和20年末には14万人余と半分に減ってしまったのである。
 佐世保の産業、経済、生活を支えた「海軍」という大きな柱を失ったことにより、市民は一時的に心の中に大きな穴があいた状況になった。しかし一方では、復興に向けて歩み出そうとする力強い動きも出てきた。
 佐世保市の戦後復興は、SKKの名で知られる佐世保重工業の成功がそのまま佐世保市に影響を与えるほど重要なものでした。
 しかし、昭和30年代に入って倒産の危機に追い込まれてしまう。
 1959年、佐世保市は初めて名誉市民表彰を行った。しかし、授与したのは佐世保市民ではなく、長らく市制を執行した中田正輔氏でもなく、佐世保市に縁がある代議士の北村徳太郎氏や山口喜久一郎氏でもなく、日本人でもなかった。授与したのは、あの7万t級タンカー「オリエンタル・ジャイアント」を発注してくれた香港の海運会社「 東方海外貨櫃航運公司」の董浩雲社長でした。
 事実、この受注で佐世保重工業は倒産の危機を脱したのでした。

董浩雲より(中国語自動翻訳そのまんま日本語)
 石油輸送の問題を解決するために血管の多数を必要とする世界経済の急速な発展は、石油需要の大幅な増加を有する。起因する大トン数隻が大幅に輸送コストを削減することができますので、作らタンカーよりもっと、CY桐とシェル石油は、スーパータンカーの時代を作成中。  1959年8月31日、超大型タンカー「東アジア巨人(オリエンタル・ジャイアント)」7万トンが佐世保、日本で完成し、発売されましたが、アジアでは初めて、世界のトップ10ライナーの一つです。1960発行の「ブリタニカ百科事典は、「読み取り」1959内蔵の「東アジア巨人の数はアジア事業を運転している最大のアジアの船主、建設、運転および乗組員である。


 青森県民の皆様「原子力船むつ」懐かしくありませんか?
 夢のような噂が広まってましたよね^^


 当時の原子力委員会委員長は核政策の熱心な推進者でもあった中曽根康弘です。そもそも予算が合わない無計画な代物でしたが、それでもなんとか36億円を60億円に増額して計画は実行されました。米国のサヴァンナ号が2万tで総額169億円なのに比べれば少ないですよね。
 1972年にむつが就役したものの、水産物への風評被害を恐れた漁民の反対で試験ができなかった。1974年1月に第一次オイルショックの影響もあり政府は一部漁民の反対を押し切ってむつを出航させ、洋上で臨界・出力上昇試験を行った。その際に遮蔽の不備による微量の放射線もれが検出された(レントゲン数枚分といわれている)。軽微なトラブルであったが当時の社会情勢も影響し、むつは母港大湊港に入港を拒否された。
 この時に修理を受け入れてくれたのが佐世保市であり佐世保重工業株式会社でした。
 ところが、修理が終わっても帰る港はなかった。1981年大湊からやや離れた関根浜に1000億円を投じて新母港関根浜港を建設して収容することに決定したが、巨額の新港建設費・地元対策費のために、むつ廃船論が沸き起る。
 むつは1991年に問題なく8万2000km(地球2周分)の試験航海を終え、1993年には原子力を外してディーゼルエンジンに積み替えて「みらい (海洋地球研究船)」に改装された。
 ここまで来て原子力機関は、当初見込まれていたより点検補修や廃炉コストが掛かるものだという事に気がついたとさ。
 今も昔も政府がやる事は同じだね。
 そしてそして、何の因果か知りませんが、2011年3月末、福島第一原子力発電所事故の海洋汚染を調べるため、福島県沖に派遣され海水を採取していた「みらい」は、元「原子力船むつ」なんですよ。(日本経済新聞 2011年6月18日「春秋」)

弓張岳 wikipedia
佐世保市
佐世保市 wikipedia
佐世保港
海上自衛隊佐世保地方隊 佐世保海軍工廠〜佐世保重工業
佐世保重工業
佐世保基地 (アメリカ海軍) wikipedia
S.S. Oriental Giant 号 の 運航性能について pdf
東方海外貨櫃航運公司
董浩雲
日本経済新聞2014/5/23 名村造船、佐世保重工を子会社化 中韓勢に対抗
佐世保の歴史
原子力船
広島市
長崎市

原爆の記録
広島


長崎



解かされた封印 〜米軍カメラマンが見たNAGASAKI 投稿者 dm_511f8257553bb

広島にも行きました
長崎にも行きました
私は心の奥底から戦争反対です

第五福竜丸


水爆が落ちた村 スペイン


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2014年06月05日

西海橋

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おやじメモ

 佐世保 西海橋



 


 西海橋はwikipediaによると、着工が1951年(昭和26年)、竣工が1955年(昭和30年)10月。同年11月より供用を開始した。
  総事業費は5億6,000万円(当時)で、完成時には固定アーチ橋として世界で3番目の長さを誇っており、我が国の橋としてめて支間長200メートルを超えた長大橋であった。
 また、我が国の有料橋であり、供用開始時より午前10時から午後8時まで(後に午前7時から午後10時までに拡大)バスは500円、普通車が200円の通行料金が徴収され、後に徒歩による通行料として10円が設定された。その後、1965年(昭和40年)頃より、地元住民および橋の利用を増加させ、観光客を誘致したい佐世保市が橋の無料化を要求し、1970年(昭和45年)に無料化された。

 有名な橋だったのですね。
 佐世保のドックにも行っていたので、その時に撮ったのでしょう。
posted by てっち at 14:16 | 青森 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月28日

一戸君

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おやじメモ 一戸君


 多分、マルハの人ですね。
 場所は品川町のアパートだと思います。

posted by てっち at 23:04 | 青森 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月28日

昭和32年の自動車

img081.jpg


おやじメモ

 なし



 テントの向こう側にはキャッチャーボートが何艘も停泊していますね。
 引き込み線も有るので、ここは横須賀は長浦港の田浦でしょう。

 手前に大きく写っている自動車は1957年4月に発売された富士精密工業(当時)の初代スカイライン(ALSI-1型)ですね。
 おそらく写真は出港時のものだと思われるので、昭和32年10月でしょう。
 ほぼ新車ですね。
Prince_Skyline_ALSI-1_001.jpg
Prince_Skyline_ALSI-1_002.jpg

wikipedia によると
1957年4月
 富士精密工業(当時)より発売されたALSI-1型がスカイラインの初代となる。当時の日本における小型乗用車規格に合わせ、当初は1,500ccでの発売となった。グレードはスタンダード(ALSIS-1型)とデラックス(ALSID-1型)の2種類。
 構造面は、低床バックボーン・トレー式シャーシを持つセミ・モノコック構造となった。前輪は前年のプリンスで既に採用されていたダブルウィッシュボーン独立懸架、後輪は日本最初のド・ディオンアクスルを採用した。搭載するエンジンは直列4気筒OHV・1,484ccのGA30型で、プジョー系の設計の発展形であるプリンス在来型エンジンの改良である。カタログスペックでは当時の日本製1,500cc車最速の最高速度125km/hを称した。

 スカイラインの奥のトランクが半開きになっている車は、まだ分かりません。

 トラックの後ろに停車中の車は、日野自動車が作っていた「ルノー 4CV」ぽいのですが、こちらももう少し調査が必要です。ん?ポルシェか?日産か?

 この車も日産でした。オースチンA40サマーセットです。
Nissan-AustinA40rear.jpg

 これを白黒にすると
白黒.jpg

wikipedia によると
 日産オースチンA40サマーセット は、日産自動車が1952年から1954年まで生産販売した小型乗用車。イギリスの自動車メーカーブリティッシュ・モーター・コーポレーション (BMC) のオースチン部門が1952年から1954年まで生産した乗用車オースチンA40サマーセットをライセンス契約でノックダウン生産した。
     乗車定員:5/6人
   ボディタイプ:4ドア セダン
     エンジン:直4ガソリンOHV1200cc 42馬力/4400rpm
      変速機;3速MT
     駆動方式:FR
  サスペンション:前: 独立 ダブルウィッシュボーン コイル
          後: 固定 半楕円リーフ
       全長:3,971mm
       全幅:1,600mm
  ホイールベース:2,350mm
     車両重量:872kg
       先代:なし
       後継:日産オースチンA50ケンブリッジ

 恐らくこの写真は「16T 第十六利丸 大洋漁業と長浦港」の写真にテントを張って、出港準備をしているのでしょう。乗組員の家族や捕鯨関係者が見送りに来ているのだと思います。

「田浦できごと年表」にある昭和32年10月ですね。

昭和32年(1957)
10月 ・大洋漁業(株)、第12次南氷洋捕鯨船団の日新丸が長浦港を出港


おまけ


 スカイラインの歴史についてはこちらが分かりやすいです。

 中川良一さんの馬鹿正直が大好きです。
 
posted by てっち at 16:28 | 青森 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月30日

C

img063.jpg

おやじメモ

 なし



 これはどこなんでしょうね。
 屋根に『C』と書いて入るものの、今の所不明です。
posted by てっち at 11:16 | 青森 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月24日

さっぱり分かりません

img072.jpg

おやじメモ

 なし



 はて?
 これはどこの建物なのでしょう。マルハの事務所なのか、寮なのか、別の施設なのか。前後の写真から横須賀市のどこかだと思います。
 
posted by てっち at 17:04 | 青森 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月04日

ドック

ドック


おやじメモ

 ドック



 ドックとしか書いてないので、どこのドックなのか、何の船なのかわかりませんが、写真の流れから連想すると、ここは三菱重工業株式会社横浜造船所だと思われます。そして、この時期おやじは錦城丸に乗っていました。
 ですが、この写真がどこなのか、このスクリューが錦城丸のものなのかは、確認出来ません。


タグ:ドック
posted by てっち at 14:40 | 青森 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月15日

神戸ドックにて

神戸ドック.jpg
おやじメモより

 若い日




 こちらの南氷洋捕鯨によると

 初代日新丸は、林兼商店が神戸川崎造船所で建造した初の国産大型捕鯨母船でした。
 英国ファーネス造船所から取り寄せたノルウェー船JAMES CLARK ROSS IIの図面を原型として計画し、第1船日新丸は翌秋の出漁期にあわせるために工事を急ぎ、起工から156日で進水しました。
 建造中に林兼商店が大洋捕鯨(東京)を資本金1,600万円で設立し、同社は昭和18年(1943)、水産統制令により西大洋漁業となり、さらに昭和20年(1945)12月、大洋漁業と社名が変更されたのです。
 ほぼその直後、初代第二日新丸も神戸川崎造船所で建造されています。
 昭和11年度、12年度は国産初の捕鯨母船として建造された大洋捕鯨の日新丸と日本水産の圖南丸の2船団が南氷洋に出漁しました。

日新丸 (1) NISSHIN MARU 42336/JGFL 16,764G/T 22,190D/W 7,120BHP 14.471kt
起工 1936.2.26(昭11) 進水 1936.8.1(昭11) 竣工 1936.9.28(昭11) Sno.598 日新丸 Nisshin Maru 建造中に林兼商店が大洋捕鯨株式会社を設立
 1936.10.7(昭11)南氷洋へ日新丸船団初出漁(〜昭和15年迄)
 1941.11.25(昭16)海軍に徴用、油槽船として使用
 1944.5.16(昭19)パラオ島のバラバック水道(7.17N,116.51E)で米潜CREVALLE(SS-291)の雷撃により沈没

第二日新丸 NISSHIN MARU No.2 43915/JTSL 17,533G/T 21,989D/W 7,210BHP 13.616kt
起工 1936.12.16(昭11) 進水 1937.6.9(昭12) 竣工 1937.10.6(昭12) Sno.617 第二日新丸 Nisshin Maru No.2
 1937.10.14(昭12)南氷洋へ第二日新丸船団初出漁(〜昭和15年迄)
 1941.11.2(昭16)海軍へ徴用、油槽船として使用
 1943.4.16(昭18)石垣島南方50哩付近で雷撃を受け、基隆に曳航、同年11月30日廃船 
第一日新丸 Nisshin Maru No.1
58435/JXNW→JDDF 油槽船 10,912G/T
起工 1945.1.5(昭20) 進水 1946.8.28(昭21) 竣工 1946.10.20(昭21)
Lpp 150.00 B 20.40 D 12.00 m 主機 T 8,000/10,000SHP 1基 12/14kt
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 Sno.984 3TL型 大阪商船株式会社(大阪)
大欖丸 Tairan Maru SCAJAP No.N068
 1946(昭21)建造中に大洋漁業(東京)に売却、捕鯨母船(第1350番船)として完工、第一日新丸 NISSHIN MARU No.1 と改名
 1948.8(昭23)主機をD 三井B&W 5,400BHPに換装
 1951.6.11(昭26)油槽船に改造、錦城丸 KINJO MARU と改名。B.V.船級取得改造工事
 1954.4.30(昭29)再度、川崎重工業(神戸)で捕鯨母船に改造
 1958.10(昭33)主機をD 川崎M.A.N.K9Z 70/120C 8000BHPに換装
 1965.3(昭40)解体のため三菱商事(東京)に売却、大阪で解体


 こちらの太平洋戦争期によると
hayashikane_eininmaru.jpg
387. 永仁丸 EININ MARU 50417→68031/JBNU→JCHO 6,968G/T
起工 1944.4.24(昭19) 進水 1944.6.23(昭19) 竣工 1944.8.19(昭19)
三菱重工業株式会社神戸造船所(神戸)建造 Sno.387 永仁丸 Einin Maru
 1951.4.6(昭26)林兼海運(東京)に売却
 1951.12(昭26)佐野安船渠(大阪)で冷凍工船に改造、B.V.船級取得改造工事完工
 1953(昭28)大洋漁業(東京)に移籍
 1954(昭29)川崎重工業(神戸)で改造工事
 1969(昭44)大遠冷蔵(清水)に売却、大遠丸 DAIEN MARU と改名
 1980(昭55)解体

 神戸ドックとしか書いていない一枚の写真。後ろに移っている船が分かればと思いましたが、残念ながら分からずじまいでした。
 大洋漁業は神戸で川崎重工業と三菱重工業株式会社神戸造船所のお世話になっていたようなので、どちらかのロゴマークが写真に写っていれば決定なのですが、それも見当たらず。
 でも、造船記録から察すると、たぶん三菱の方でしょう。

タグ:神戸ドック
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2013年04月29日

横浜ドック 6  KYMO号進水式 2

imgKYMO.jpg

おやじメモ

 進水式



 KYMO号についてはこちら→横浜ドック 5  KYMO号進水式
img042の2.jpg
 船尾かと思いましたが、ドックの地形を考えると右舷船首のようですね。
 KYMO号とほぼ平行に並んでいると思います。
 プロとはいえ、よくこうやって船名を書けるもんですね。
 [ SUL A ] をヒントにこの船を探してみましたが、今のところ見つかりません。

 南米に三菱重工のグループ会社「MHI Sul Americana Distribuidora de Motores Ltda.」というのは有るのですが、設立2007年ですねぇ。



 
タグ:KYMO 進水式
posted by てっち at 12:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月16日

横浜ドック 5  KYMO号進水式

KYMO進水式.jpg

おやじメモより

 進水式 リベリア船 KYMO号 31.8.18 横浜三菱造船所にて



 昭和31年8月18日
 martitime connectorというサイトで発見しました。
kymo-5198929-tanker-Maritim.gif

IMO number    5198929
Name of the ship  KYMO
Type of ship    TANKER
Gross tonnage   24234 tons
DWT        41064 tons
Year of build    1956
Builder       MHI YOKOHAMA DOCKYARD & MACHINERY WORKS -
          YOKOHAMA, JAPAN

Last known flag   LIBERIA


Gross tonnage(グロストン) は船の総トン数 国際総トン数と国内総トン数がある。
DWT は、載貨重量トン数 (dead weight tonnage)

 KYMO号は4万トン級タンカーということですね。
 今から見れば小さなタンカーです。

 
posted by てっち at 13:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする