2011年12月11日

日新丸と天洋丸のローグサイド

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おやじメモより

 天洋丸 肉満量にして鯨油移行し 満船の為に日新丸とローグサイド中 

 右が日新丸で左が天洋丸です。拡大すると日新丸では鯨を解体中ですね。
 静かな海の上でこんな作業をしていたのです。
 天洋丸は日新丸から鯨肉と鯨油を受け取り、満タンにしたら日本へ向かうのかというとそうではなく、ヨーロッパ方面へ売りに行ったりしていたようです。
 化石燃料がまだあまり使えていない時代、それを鯨に求めて乱獲し、アジアまでやって来たのがアメリカ捕鯨ですよね。特に抹香鯨の鯨油は需要が高く、機械油として、照明用として、様々な使われ方をしていました。
 やがて時代が進むにつれ、照明はガスや電気に変わり、機械油も代用品が開発されました。
 鯨を食文化にしていない国は、これで捕鯨をする必要が無くなったという訳です。
 

鯨は何に利用された?
 
 
posted by てっち at 12:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 中積み船 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月01日

天洋丸 と 幡州丸?

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おやじメモより

 粛の海


 奥が紛れもなく第三天洋丸で、手前が幡州丸です。
  ここで播州丸を調べていたのですが、なにしろ沢山あって、しかも多くの船が戦時中に米国海軍の魚雷の餌食となって沈没してるのに驚きました。母船の日新丸もそうでしたが、戦時中は米軍の魚雷を敵に回して戦っていようですね。
 「大洋漁業株式会社 Taiyo Gyogyo K. K.」 というページに次のようなデータが残っていました。
 船名=第二播州丸 Banshu Maru No.2
 総トン数=1,247
 進水年=昭29年
 建造所=川崎神戸

 おそらくこの写真は上記のデータにある第二播州丸ではないかと思われます。


 と、考えてみましたが、アップされた第二播州丸の写真を見るとどうやら違うようです(2015.4.18確認)。
 何だろうこの船舶は?

posted by てっち at 18:29 | Comment(2) | TrackBack(0) | 中積み船 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月01日

日新丸と第三天洋丸ローグサイド

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おやじメモより

 日新丸・第三天洋丸のローグサイド 鯨油移行す 間も無く帰郷の三天洋 鯨をファインダーに


 ローグサイドってなんの事かと思ったら、横付け( alongside )ですね^^
 【副詞】1、そばに,並んで; 一緒に.
     2、【航海, 海語】 横付けに,舷側に.

 それもそうですが、左側の船体に人がへばりついているのにびっくりです。たぶん左側が日新丸で右側が第三天洋丸だと思います。
 冷たい海の上で危険な仕事ですね。しかも下には鯨が、、。
 この鯨は船同士がぶつからないように挟んであるようです。写真のように大きな船が海上で横付けするには、船同士の衝突を避けなければなりません。後にゴム製クッションが使われるようになったとか。


posted by てっち at 12:24 | Comment(0) | 中積み船 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月30日

日新丸から天洋丸へ

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おやじメモより

 第3大??の赤肉運搬作業 第三天洋丸へ


 「?」は文字不明。
 写真をよく見ると鯨肉を直接小舟に移しているように見えますね。
 それと一つの疑問が涌きました。
 日新丸から第三天洋丸へ鯨肉を運んでいたであろうこの小舟はどこから来たのでしょう?
 日本から自力で南氷洋まで走って来たとは考えにくいですよね。
 やはり、宇宙戦艦ヤマトからコスモタイガーが飛び出すように、第三天洋丸から必要な時に出ているのでしょうか?
 今と成っては確認のしようがないので、もしご存知の方がこの記事を読みましたら、是非コメントご指導を宜しくお願い致します。

 その後、wikipedia を読んでいたら、「大??」は「大発艇」であることが分りました。
 日本の船団式捕鯨で、捕鯨母船で大まかに解体した鯨肉を、細かな食肉加工をする冷凍工船などへ移送するのに用いられた小型艇。捕鯨母船に搭載された。大発動艇(の略称)に由来するという説がある。川崎船とも。なお、後述するように捕鯨母船他捕鯨船は徴用されており第一号型輸送艦9号艦のように逆の例もある。

 それから色々調べていましたら、ボートダビットとういう装置があって、普通の救命ボートを運ぶ方法で大発
動艇を運んでいたであろうと思われます。

おまけ


 
posted by てっち at 22:11 | Comment(0) | 中積み船 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第三天洋丸

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おやじメモより

 荷船を待つ第三天洋丸 (母船日新丸とローグサイドをする為のロープを張る操作)


 あれ〜?
 ネット上でこの白線入り第三天洋丸を発見できませんねぇ。

 こんな資料を見つけました! TENYO MARU NO.3

三天洋.png

 図を左右逆にして写真と比べてみると煙突の位置が違いますよね。

この資料によれば
 
 本船は大洋漁業株式會社の御注文により、川崎重工業株式會社線船舶工場にて建造せられた工船兼冷凍船である。
 昭和23年7月7日建造許可せられ、同月8日起工、同年10月22日進水、同年12月20日引渡し、同月22日直に南氷洋に向け、神戸港を出港した。
 本船は南氷洋魚場では、母船にて裁割せられたる鯨肉の冷凍及鹽藏作業を爲すと共に、母船にて製造せられた此等の製品の運搬船として使用せられ、小笠原魚場では、上甲板上で鯨體の解剖を爲し、鯨油、冷凍肉(皮を含む)及び副産物として、膠、蒸骨(肥料)を製造する。又鮪漁場では鮪延縄漁船を隨伴し、鮪の冷凍を行う。
 此等の製品に對する諸設備の詳細は別に紹介せられる機會があると思われるので、此處には本船の概要のみを記述する。

 とあります。  ☆鹽藏=塩蔵 隨伴=随伴
 第三天洋丸の役割は、母船日新丸で処理された鯨肉製品を日本へ運ぶのが仕事でした。
 おやじの写真と図面では煙突の位置が違うし、やはり第三天洋丸ではなさそうですね。
 それとも船の世界によく有る、同名他船なのでしょうか。

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 読めませんねぇ。。。クリックして拡大すると第二天洋丸と書いてるような、、、。

また資料を読んでいると
F 救 命 艇 設 備
 端 艇甲板上 兩 絃 に 各 々 一隻の 長 さ 10.35m の 木製發 動 艇 と, 長 さ 7・Om の 第一級 甲型救命艇 を備 え, 前者は 漁場 に 於 て , 絶えず使用せ られ る の で , 容易 に 収納し得 る 型の davit を設 け た。
とあり、もしかすると前者が大発艇と呼ばれるものかもしれませんね。
* davit =【航海, 海語】 (ボートなどを上げ下ろしするための,通例 2 本ひと組の)つり柱,ダビット.
 ボートダビットの模型


第二天洋丸 発見! でも白線がない。
taiyohogei_tenyomaru_no2.jpg
大橘丸 DAIKITSU MARU 56819/JCXF 10,611G/T 14kt
起工 1944.11.25(昭19) 進水 1945.4.15(昭20) 竣工 1947.12.6(昭22)
川崎重工業株式会社艦船工場(神戸)建造 Sno.743 大阪商船株式会社(大阪)
大橘丸 Daikitsu Maru SCAJAP No.T244 →1945.5.15(昭20)工事を中止→1946.3(昭21)大洋漁業(東京)に売却、第二天洋丸 Tenyo Maru No.2 と改名→1947.6.22(昭22)第600番船として工事再開→1947.12(昭22)主機をD 三井B&W 5,400BHPに換装、冷凍船として完工→1952.4.11(昭27)大洋商船(東京)に移籍、東日本重工業(横浜)で油槽船に改造、B.V.船級取得改造工事、8月17日完工→1964.5(昭39)堺で解体

 船腹の修理・改造 - 戦後占領期で見つけたのですが、船名は船の所有者が変わると改名してしまうようですね。

冷凍鹽藏船第二天洋丸の建造に就て(pdf)
昭和23年4月11日
1、序言
 連合國の一部の反對を押し切って、マ司令部より南氷洋捕鯨出漁が許可された事は、食糧不足に悩む日本國民として、衷心感謝に堪えぬ次第である。既に昨年度は大洋漁業の第一日新丸、日本水産の橋立丸を基體とする二船團が出漁して、鯨油鯨肉等の海の幸を滿載して歸り、國民を喜ばしたのであるが、折角の鯨肉も鹽辛い鹽藏肉が主であった。南氷洋に於ける鯨の風味を損ずる事なく大量に持ち歸り、國民の乏しい食膳を賑わす事に意を向けた太陽漁業では、川崎造船所の岸壁に續行船として繋留されていた戦標船 1.T.L. 大橋丸を冷凍鹽藏船に改造する計畫をたてたのである。昨年7月2日 G.H.Q より、建造許可の指令を受けたが、果たしてこの大改造工事を11月迄に短期間に成し遂げられるや、大いに懸念されたが、本船完成の意義は、単に國家的事業のみならず、マ司令部より我々日本人に興えられた一大使命であると言う信念の下に、本船の完成に社運を賭して突進したのである。爾来 G.H.Q はもとより、關係諸官廳を始め、直接間接に關係ある諸方面の援助を得て、無事本船を12月7日南氷洋に送り出す事を得た事は、今尙感激に堪えぬところである。玆に本船の特異點を紹介し、建造經過主として、冷凍設備に就て報告したいと思う。


簡単に書くと
 アメリカのマッカーサー元帥の総司令部(GHQ)から南氷洋捕鯨の許可が下りた事に、食料不足に悩む日本人として感謝申し上げます。既に昨年度は大洋漁業と日本水産の2船団が出漁し、多くの鯨油鯨肉を獲得したものの、塩辛い塩漬け肉が主でした。
 そこで大洋漁業では、南氷洋の風味を損なわずに旨味をそのまま運び、国民の食卓を賑わしたいという想いから、川崎造船所にあった戦標船 1.T.L. 大橋丸を冷凍塩蔵船に改造する計画をたてました。
 昨年7月2日 G.H.Q から指令は受けたものの、11月迄には時間がなく、大いに懸念されたのですが、この仕事の意義は単に国家的事業というだけでなく、マッカーサー司令部より我々日本人にあたえられた一大使命であると受け止め、完成に社運をかけて挑んだのです。
 G.H.Q はもとより、関係諸官長を始め、直接間接の関係者の援助を得て無事完成し、12月7日に南氷洋へ送り出す事が出来ました。

マ司令部とは、連合国軍最高司令官総司令部といい、G.H.Q は総司令部(General Headquarters)の略称。

昭和20年(1945年)
  8月14日   アメリカ陸軍の太平洋陸軍総司令官・ダグラス・マッカーサー元
         帥が連合国軍最高司令官(SCAP)に就任し、同年10月2日、総
         司令部が東京に設置された。

  8月14日午前11時 
         日本では昭和天皇が御前会議においてポツダム宣言(無条件降伏)
         の受諾を発表。
      午後 9時
         ラジオで「15日正午より重大発表あり」という旨の放送。
      午後11時 
         ポツダム宣言受諾を連合国側に通知。
      午後11時20分 
         天皇が玉音放送を録音。
  8月15日正午 社団法人日本放送協会(当時)にて昭和天皇による終戦の詔書「玉
         音放送」がラジオで流された。

  11月30日   小笠原諸島周辺での捕鯨が許可(マッカーサーライン)
  12月31日   日本のNHKラジオで「紅白音楽試合」(後の「NHK紅白歌合戦」
         の前身)放送。
昭和21年(1946年)
   8月6日    GHQが南氷洋での日本の母船式捕鯨を認可。
昭和22年(1947年)
  7月2日    GHQ より、第二天洋丸建造許可の指令を受ける
  12月7日    第二天洋丸南氷洋へ出港

昭和22年(1947年)
  7月7日    GHQ より、第三天洋丸建造許可せられ、
  7月8日    起工、
  10月22日    進水、
  12月20日    引渡し、
  12月22日    直に南氷洋に向け、神戸港を出港した。

ん〜、白線入りの第三天洋丸見つかりませんねぇ〜

タグ:第三天洋丸
posted by てっち at 20:11 | Comment(0) | 中積み船 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする