2017年02月16日

第六次北洋捕鯨 2

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おやじメモ

 北洋にて 昭和32年5月〜7月

 大洋漁業 第11文丸  日本水産 第18興南丸


 一見すると南氷洋の捕鯨オリンピックのようですが、昭和27年から始まった北洋捕鯨です。
 北洋捕鯨では日本水産六割、大洋捕鯨三割、極洋捕鯨一割の出資で北洋捕鯨株式会社が設立され、社長に就任したのは日本水産の渋谷辰三郎氏でした。
 さらに北洋捕鯨では、日本から漁場が近いこともあり南氷洋捕鯨よりも経費がかからず、運搬船を活用することで鯨肉の鮮度を保つことができたようです。
 また、北洋捕鯨株式会社では自社の捕鯨船を持たず、三社の施設をそのまま兼用しての出港でした。
 南氷洋にしても北氷洋にしても、捕鯨シーズンは夏なので、時期的には半年ズレます。交互に出漁すれば無駄がなく効率がいいわけです。

posted by てっち at 17:02 | 青森 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | キャッチャーボート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月28日

16T 第十六利丸 大洋漁業と長浦港

img065.jpg

おやじメモ

  横須賀 田の浦港


 16Tがいました。感動です。
 16Tは以前紹介した第十六利丸(大洋漁業所属第十六利丸の事)です。
 やっぱりオリジナルの塗装の方がいいですね。
 写真を拡大(クリック)してみると、高いマストに設置されている見張り台にも番号が書かれています。
 手前から16T、XX、12Tか2T、XVです。ギリシャ数字を使っているのは主に関丸なので、手前から「第十六利丸」「第二十関丸」「第十二利丸か第二利丸」「第十五関丸」と並んでいるのでしょう。奥に18?のキャッチャーボートも写ってますね。第十八文丸かもしれません。

 さて、キャッチャーボートの手前に鉄路が見えます。間には車が並んでいます。帰港したばかりなのか、出航前なのか、当時は普段からこれくらいの見学者が訪れていたのか、そこはよく分かりませんが潮の香りが届きそうな写真ですよね。
 場所が田浦港ですからこの鉄路は引き込み線です。消えつつ有る歴史とは言うものの、横須賀にはまだまだ残っています。
 まずはトワイライトゾーン 田浦のことさんの旧水路部軍機第214号 横須賀軍港西部 昭和15年10月刊の地図に色を塗ってみました。
昭和15年.jpg
 
 実際はほとんどの倉庫に引き込まれていて、海に突き出しているレールも有ったので、図よりも多く敷かれていたと思われます。

 次の図は高校生自転車日記さんが紹介していた昭和21年(1946年)のアメリカ発行の地図です。終戦翌年ですね。
米.jpg
 なんとなく、日本とアメリカの違いが現れているような二枚の地図ですが、代表的な鉄路だけを描いているものと思われます。それと港の形が違うので2013年の地図にこれを重ねて見ました。
海岸線2.jpg
 昭和21年の地図には長浦ふ頭がありません。そこで調べてみましたら、昭和31年の航空写真が見つかりました。
DSCN5803.jpg
 この写真を見ると、どうやら建築中のようですね。
 よくよく調べると不思議な事に昭和35年(1960年)7月30日発行の地図にはまったく長浦ふ頭が載っていません。まだ未完成なのでしょう。昭和38年(1963年)の航空写真でも短めのふ頭でした。今と同じ形が現れるのは昭和46年(1971年)ですから、この間に完成したものと思われます。

 下の図は昭和32年の岸壁に昭46年(1971年)測量図から鉄路を重ねたものです。赤の部分がそうなのですが、これだと鉄路の長さがちょっと足りない。青の部分にも鉄路はなかったのかと探していたところ、ありました。
本田浦1.jpg

taura.jpg 「トワイライトゾーン 田浦のこと」が紹介している「田浦駅を降りたところにある 長浦港周辺案内図」を見ると、青の部分にも鉄路が有ったことが分かります。
 おやじの写真を見ると、手前から道らしきものが有って、鉄路が有って、空間が有って、車が並んでいて、ロープが張ってあって、キャッチャーボートが接岸できる場所は、田浦ではここしか見つかりません。

 当時はまだマークの場所に建物が無かったと思われ、この三角地帯のどこからでも写真を撮れたと思います。 
 が、しかし、さらに写真を拡大すると捕鯨船の奥に山と建物が写っています。
 この建物が分かれば角度も決定なのだが、海上自衛隊の「?1」なのか、東芝が有る「?2」なのか、「?3」なのか「?4」なのか、とうとう分かりませんでした。
 山の形は今でも変わらないでしょうから、一度現地調査が必要ですね。
本田浦0.jpg

田 浦 で き ご と 年 表 によると
昭和21年(1946)
 4月 ・長浦港の米軍による接収が解除。長浦港及び旧海軍軍需部等
     の施設が、緊急食糧受入れ港施設として開放(旧軍需部の倉
     庫群30棟が注目される)
 5月 ・市民の食糧事情が悪化。第1回進駐軍放出食糧の特配が行わ
     れる
 8月 ・さきに相模港運(株)が旧海軍軍需部施設の一時使用許可を
     受けた土地、建物、設備をもとにして、相模港運(株)を中
     心に神奈川県倉庫業者と東京湾倉庫(株)を設立
10月 ・長浦港桟橋落成式

昭和22年(1947)
 3月 ・太洋漁業、捕鯨基地として旧軍需部施設の一部と長浦港の使
     用を許可される
10月 ・大洋漁業が旧海軍軍需部跡に横須賀工場を設置
11月 ・第1次南氷洋捕鯨船団(大洋漁業)が長浦港を出港。母船(日
     新丸)、冷凍船1、捕鯨船9

昭和32年(1957)
10月 ・大洋漁業(株)、第12次南氷洋捕鯨船団の日新丸が長浦港を出港


昭和43年(1968)
    ・大洋漁業(株)捕鯨部横須賀事務所所轄の捕鯨船団2船団から1船団
     に減少

昭和52年(1977)
    ・捕鯨規制のため長浦港への捕鯨船団の入港が減少

昭和60年(1985)
 9月 ・大洋漁業(株)横須賀工場を閉鎖(長浦町)

昭和62年(1987)
 3月 ・大洋漁業(株)横須賀工場跡に大洋ホエールズが野球練習場
     (現在は横浜ベイスターズ総合練習場)を設置

 
 昭和32年、日新丸は長浦港に停泊していたことが分かります。
img-つがる.jpg もしかすると「敷設艦つがる」の写真は停泊中の日新丸へ乗船する前に、運搬船などから撮ったのかもしれませんね。
 もしかしたらですけどね。

img062.jpg こちらのマースク船は、長浦に停泊していた日新丸の船上から「?3」を撮ったのだろうと喜んだのですが、、、。マースク船の写真をじっくり見ると、岸壁の角が奇麗に90度じゃありませんか。
 下図の赤に塗った突起部分がありません。
本田浦MA.jpg 古くは明治39年(1906)の地図にも記載され、昭和21年のアメリカ版にも載っています。

 となると、ここではないという事か。。。

 はい、ここでは有りませんでした。
 acj さんから力強い応援をいただき、マースク船の停泊場所が「?3」ならば、写っているはずのガントリークレーンが無い事から別の場所と判定。マースク船は神戸の可能性も大きいので、ただ今調査中です。
img421.jpg 次にこちらの「文丸と利丸」の写真にガントリークレーンが写っている事が判り、この場所こそ長浦港の「?2」と「?3」の間である事が判りました。感謝感激です。
 この写真は長浦ふ頭が無い時代に撮られているので、当時はこの位置に停泊していたのでしょう。


 そして、16Tが写っているこの写真は、ほぼ緑の星から撮ったと思われます。背景にガントリークレーンが写っていても不思議ではありません。
ガントリークレーン.jpg

参考資料
旧海軍軍需部と長浦/横須賀市
廃線探査 相模運輸倉庫専用線(米軍田浦専用線)
横須賀 田浦巡り/ アメイロキンギョ
田浦港廃線跡
高校生自転車日記
京浜工業地帯周辺の貨物線・専用線
田浦臨港線
空中写真分布表 神奈川編
横須賀海軍工廠造兵部 その3/とある戦跡と自衛隊
田浦の米軍専用引込線跡
トワイライトゾーン 田浦のこと
地図・空中写真閲覧サービス

 
posted by てっち at 23:18 | 青森 ☁ | Comment(6) | TrackBack(0) | キャッチャーボート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月02日

氷柱

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おやじメモより

 氷柱 キャッチャーボートにはこんなにつららが下がって来る 厳寒そのものだ 早く帰りを待つ 
 [ 目標突破 ] の声高らかに 日新丸行進曲と共に南極圏内 大陸と氷山と鯨とに別れを告げて 世界の捕鯨船達も皆切揚る頃



 何故かつららより氷山にピントが合っている写真ですね。
 捕鯨オリンピック真っ最中でしたから、全体目標が達成された時点で、各国の捕鯨船団が一斉に帰路についたのでしょう。
 この氷山、なんとな〜く鯨に似てません?
 氷のシロナガスクジラのようです。

日新丸行進曲

 いざいざ行かん颯爽(さっそう)と 躍進日本の名において
 祖国の意気を示しつつ マストに高き日の丸の
 朝日に映ゆる旗風に 波濤万里の海越えて
 堂々進む精鋭は 日新丸の捕鯨隊

 いざいざ征かん溌剌(はつらつ)と 海国日本の名において
 祖国の誇り示しつつ 吼(ほ)ゆる巨鯨の群れ追いて
 南方十字星冴ゆる 怒濤逆巻く極洋を
 堂々進む精鋭は 日新丸の捕鯨隊

 いざいざ征かん行かん凛々(りんりん)と 水産日本の名において
 祖国の誉れ示しつつ 奮迅(ふんじん)止まぬ熱戦に
 オーロラ燃ゆる空の下 挙げよ制覇の鬨(とき)の声
 堂々進む精鋭は 日新丸の捕鯨隊

 

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2012年03月27日

二十二時

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おやじメモより

 3月に入ると皆は帰る事しか考えない。それに二十二時頃から夜がハッキリして来る。然し二時には夜明けとなる



 目の前をキャッチャーボートが通過していますね。
 もし逆光でなかったら、こんな感じでしょうか。

im2.png

 
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2011年10月29日

第八関丸の大漁

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おやじメモより

 晴れ 天下のボート 大漁長須くじら 第八関丸キャッチャーボートの優秀&腕前 次々もってくるとこれぢゃ五日位母船は動く事が出来ない


 嬉しい悲鳴というところでしょう。
 しかし、12頭もよく引っ張って来ますよね。
 といっても大変なのはこれからで、母船から渡されるワイヤーをクジラの尾にくくりつけ、キャッチャーのロープを外さなければなりません。極寒の南氷洋での作業です。
 さらに母船は、スリップウエイをからクローを使って母船に引き上げます。いったいどうやってワーヤーをさばいていたのでしょう?
 おやじから聞いた話ですが、この作業中、時々海に落ちてしまう作業員がいたそうです。もちろん助けるのですが、冷たい南氷洋に落ちた人を暖めるには、まず水に入れ、徐々に暖かいお湯に入れるのだと言っていました。


 
 
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2011年10月15日

操業開始! 第六文丸

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おやじメモより

 早くも船団のトップを争うキャッチャーボートの十五隻は命中された長須鯨を母船に持って来る
 依って製油課の機会はガラガラ運転される



 マルハの日新丸船団では15隻のキャッチャーボートが供戦していたんですね。
 いよいいよ操業開始!

img412.jpg
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 写真のキャッチャーボートは第六文丸だろうと思われます。
 あれこれ調べているうちに、おやじから聞いていた話を活字で見つけました。こちらは第六利丸で、次の通りです。

  第二日新丸によれば、
 
1501dai11tamamaru01.gif 昭和14年3月10日、第三次南氷洋捕鯨で、初代第二日新丸船団のキャッチャーボート「第十一玉丸」「第六利丸」「第八利丸」が氷山と氷原に挟まれて動けなくなりました。
 原因は強風から身(捕鯨船)をかわしながら必至に船の舵を握っている時、突如潮の流れと風の向きが変わり、その変化に対応できなくなったためらしい。

 残念ながら母船初代第二日新丸も近づけない氷山であり、やむなく捕鯨船の乗組員57名が,氷の上を歩いて脱出することを決断しました。
 歩いた距離が3海里だったといいますから、1海里=1.85200kmとすると×3=5.556kmも道無き道の氷上を歩いた事になります。
1502dai11tamamaru02.gif 写真を見る限り吹雪が止んでから出発したようですね。八甲田雪中行軍遭難事件(明治35年)のようにならなくて本当に良かったです。
 捕鯨船から持ち出したものは、まずは写真で確認できる竹竿。南極大陸の上とは限らないので、一歩間違えれば冷たい氷の海に身を沈める事になります。竿があれば氷の状態を確認しながら進めるので役に立っていたと思います。運搬に竹梯子も重宝していたでしょう。

 そしておにぎりとコンパス。水も持っていたと思います。因みにこう言う場合は、水は水筒の八分目まで入れて歩きながら常に揺らしていると凍りにくいそうです。
 こうして捕鯨船を離れた乗組員57名は、母船初代第二日新丸が吐き出す煙や汽笛を頼りに母船目指して氷上行軍を決行し、全員救出されたのです。
 残された捕鯨船のうち 第八利丸は、昭和14年11月20日。日本水産の第三圖南丸に発見されて初代第二日新丸に引き渡されます。

 写真は「大洋漁業80年史」に掲載されている。


posted by てっち at 12:15 | Comment(0) | キャッチャーボート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月11日

波と戦うキャッチャーボート

img389~.jpg
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おやじメモより

 暴風圏内のキャッチャーボート まだ荒れる だるま同然

 母船と二十三隻の船体はこの荒波を切り抜けるに懸命だ



 空を見ると、決して天気が悪い訳ではないですよね。
 やはり暴風圏は「咆える40°、狂う50°、叫ぶ60°」のようです。
 この波を23隻が一斉に超えて行くんですね。
 母船はまだしもキャッチャーボート辛そうですね。
 写真は波の谷間から飛び出す瞬間でしょうか、前が完全に浮き上がっています。


いつまで見れるか分りませんが、多分、南極観測船からみた暴風圏の映像ではないかと思われます。


緯46度
最大波高:14m
平均風速:約30m

捕鯨船ではありませんが、イメージ的にこんな感じだろうと思います
Warship vs Big Waves-1
)

 しかし、この波では母船と言えどもタダではすみませんね。
 こんな感じでしょうか?



 因みに南氷洋を目指す船と言えば、南極探検隊の砕氷艦がありますね。しらせはこの暴風圏で最大53度、宗谷は最大63度も傾いたという記録があります。そこで、即席ですが描いてみました。
 傾き易い船だとは言うものの、よく転覆しませんでしたね。

名称未設定-1.gif

 母船日新丸と言えども暴風圏の通過は大変だったでしょう。
 
soudasitu.jpg CATCHER BOATに「暴風圏の荒天時はこのブリッジ以外は全て水没?(ほぼそれに近い状態)し生きた心地がしなかったそうです。」と表現されていることが、よく分りますね。


posted by てっち at 18:28 | Comment(0) | キャッチャーボート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月06日

夕暮れ

img387.jpg
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おやじメモより

 日が沈むキャッチャーから 母船日新丸遥かに


 確かに夕暮れかもしれません。光の角度で判断するしかないですね。
 母船日新丸と距離があるようですが、そこまでクジラを引っ張ってゆくキャッチャーボートって、なかなか凄いですね。
posted by てっち at 21:18 | Comment(0) | キャッチャーボート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月15日

文丸と利丸

img捕鯨船 文丸 利丸.jpg


おやじメモより

 横須賀市田浦港にあるキャッチャーボート 文丸・利丸


 はじめにこの写真を見たときは、左が文丸右が利丸かと思っていましたが、どうやら綺麗に分かれているのではなく、混ざって碇泊しているようです。

 写真とは関係ありませんが、こちらの大洋漁業の資料によれば、
 第十六文丸 Fumi Maru No.16、 総トン数 599t、 進水年 昭和29年、建造所 林兼造船
 第六利丸  Toshi Maru No.6、 総トン数 589t、 進水年 昭24年、建造所 A & J Inglis
 第十五利丸 Toshi Maru No.15 、総トン数 647t、 進水年 昭32年、 建造所 林兼造船
 第十七利丸 Toshi Maru No.17 、総トン数 757t、 進水年 不詳、   建造所 林兼造船
 第六文丸  Fumi Maru No.6 304 1946(昭21) 川崎泉州
 第二文丸  Fumi Maru No.2 304 〃 〃
第三文丸  Fumi Maru No.3 312 〃 川崎重工
第三關丸  Seki Maru No.3 307 1947(昭22) 不詳
第七關丸  Seki Maru No.7 306 〃 川崎重工

 全部揃っているのかと思ったら、意外に船の大きさが違うんですね。
 寄せ集めだったのでしょうか?
 資料が古いのか、昭和33年進水の第十六利丸(大型)が載っていません。
 この他に日新丸船団は関丸という捕鯨船を加え、この時代は15隻の捕鯨船と供に戦っていたようです。

 上の写真を拡大しました。第6文丸の隣は第5文丸ですね。
img1422.jpg
別窓で拡大します

 この当時の太洋漁業の捕鯨船は、「関丸」「利丸」「文丸」とありますが、関丸には「ギリシャ数字」が使われ、利丸には「アラビア数字+T」が使われ、文丸には「アラビア数字」が使われていたようです。

img423.jpg
別窓で拡大します

 左の文丸の左端は「3」と確認できるのでこの捕鯨船は第三文丸ですね。
 この第三文丸も 大日本帝國海軍特設艦船 第三文丸の船歴によると、
昭和15.09.03:進水、命名:第三文丸
昭和15.11.30:竣工、船主:大洋捕鯨株式會社
昭和15.--.--:(第五次南氷洋捕鯨)
昭和16.08.15:入籍:内令第938号:特設駆潜艇、横須賀鎮守府所管
 ↓ 各地で任務
昭和19.01.30:沈没、
喪失場所:N11.30-E162.20 ブラウン環礁
喪失原因:米第52.8任務部隊艦載機による空爆。 

とあり、戦中の第三文丸は沈没しています。戦後に造船された、二代目第三文丸という事になるのでしょう。

taiyogyogyo_toshimaruno.15.jpg 第十五利丸 Toshi Maru No.15

 
p9011.jpg 第十六利丸 Toshi Maru No.16
 大洋漁業 第16利丸

 総トン数 758 トン

 長さ    68.37m

 軸馬力  3500馬力

 補助エンジン  2基

 速力   17.5 ノット

 昭和33年7月4日進水

 林兼造船(下関市)


image.jpg 第十七利丸 Toshi Maru No.17
posted by てっち at 11:23 | Comment(0) | キャッチャーボート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月13日

寒さに強いキャッチャーボート

img362.jpg

おやじメモより

 寒さに負けないキャッチャーボートは3月の海 バックアイスの中を鯨を運ぶ


 キャッチャーボート凍りついてますね。

posted by てっち at 15:19 | Comment(0) | キャッチャーボート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする