2015年03月09日

海兵曹長

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おやじメモ

 33.11.18 右:元海兵曹長(カゴシマ)横手さん



 やはり元日本海軍がいましたね。
 「終戦時の特務士官・准士官・下士官・兵」によると
 兵曹長は准士官になってますね。
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2014年01月26日

錦城丸

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おやじメモ

 錦城丸の船尾にて 
            内野氏 宮沢氏



昭和32年ニュース

1月29日 - 日本の南極越冬隊が南極大陸初上陸
1月30日 - 群馬県相馬ヶ原射撃場で薬莢拾いの女性が米兵に射殺される事件発生
     (ジラード事件)。
2月1日 - 吉田茂と佐藤栄作が自由民主党に入党。
2月6日 - 広島県で行軍演習中の自衛官2人が死亡(自衛隊死の行軍事件)。
2月25日 - 岸信介内閣が成立。
3月13日 - チャタレー事件の最高裁判所大法廷判決。被告人等の有罪が確定。
4月1日 - ロッテが「グリーンガム」を発売。
4月12日 - 第五北川丸沈没事故。死者・行方不明113名。
4月24日 - 富士精密工業が「スカイライン」を発売。当初の名称は2代目まで
     「プリンス・スカイライン」。
5月15日 - イギリス、キリスィマスィ島で初の水爆実験を行う。
6月25日 - 日本コカ・コーラ設立。
7月6日 - 箱根・宮ノ下の富士屋ホテルで、日豪通商条約を締結。岸首相が出席。
7月6日 - 日本における高速電車の先駆けとなった小田急3000形・SEが運転開始。
7月8日 - 砂川事件が発生。
7月15日 - トヨタ自動車が「コロナ」を発売。当初の名称は5代目まで「トヨペット・
     コロナ」。
7月25日 - 28日 - 諫早豪雨。死者・行方不明992名。
8月27日 - 茨城県東海村の原子力研究所で原子炉が臨界点に達し、「原子の火」が
     ともる。
9月1日 - 富士フイルムが「フジカ35M」、「フジペット」をそれぞれ発売。
9月4日 - 米公民権運動: リトルロック高校事件。アーカンソー州知事オーヴァル・
     フォーバスの命令により州兵100人が出動し、黒人9人の高校通学を阻む。
9月20日 - 糸川英夫東京大学教授らが、秋田県の海岸で初の国産ロケット「カッパー
     4C型」の発射に成功。
9月28日 - 外務省が初の外交青書を発表。
9月29日 - ソ連ウラル地方で発生した原子力事故(ウラル核惨事)が発生したが発表は
     伏せられた。
10月1日 - 初の五千円紙幣(聖徳太子の肖像)発行。
10月1日 - サリドマイドが西ドイツで発売される(1961年、生産中止)。
10月4日 - ソ連が人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功。(この前に自衛隊誘導弾
     二郎ちゃん失敗)
10月10日 - ウィンズケール原子炉火災事故おこる。
10月14日 - 日産自動車が「ダットサン・210」を発売。
10月21日 - 巨人が後楽園球場の対大洋ダブルヘッダー第2試合に勝ち、3年連続のセ・
     リーグ優勝決める。
11月1日 - 第27臨時国会召集(11月14日閉会)。
11月14日 - 三共が「三共胃腸薬」を発売(現在は「第一三共胃腸薬」)。
11月15日 - 名古屋市交通局初の地下鉄、名古屋市営地下鉄東山線名古屋駅 - 栄町駅間が
      開業。
12月7日 - 立教大学・長嶋茂雄選手の巨人軍入団決まる。
12月10日 - 学習院大学に在学中の愛新覚羅慧生(満州国皇帝・溥儀の姪)が、伊豆・
      天城山で同級生の男子学生と一緒に遺体で発見される(天城山心中)。
12月11日 - 百円硬貨発行。
12月17日 - 上野動物園にモノレールが登場。
12月20日 - 第28国会召集(1958年4月25日解散)。
12月23日 - NHK金沢放送局が日本海側初のテレビ放送を開始。



タグ:錦城丸
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2012年06月21日

古川さんと

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おやじメモより

 入港、四年生。


 四年生ということは、昭和29年の写真ですね。
 昭和29年といえば、第五福竜丸

当時の日本のニュース


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2012年04月09日

日新丸のへリポート

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おやじメモより

 氷山が見えなくなった頃 寒さ厳しいがヘリコプターが飛び去った後 パッと立ってパッと撮ったが風寒く 岡田製油長(41)と自分は目をつむってしまった。
 A 長崎市の富田さん(28)
 B 岩手県の玉川さん(28)



 どうやらこの写真は前ページの「大洋漁業 ヘリコプター くじら号」の続きですね。
 飛び去ったくじら号の後に記念写真ということでしょう。
 ん?ヘリはどこへ飛んで行ったのだろう?
 一足先に横須賀へ向かったのだろうか?
 氷山が見えなくなった頃だから、まだ南半球ですね。横須賀までは飛ばないでしょう。

 東京タワー(昭和33年)まであと4年、東京オリンピック(昭和39年)まであと10年、東京スカイツリー(平成24年)まであと58年の昭和29年3月。同年3月1日にはNHKが大阪と名古屋でテレビジョン放送開始。日新丸は夏の南氷洋から遠く桜咲く日本へ向かって航海中のようです。
 そして同年4月5日、初の集団就職列車(青森・上野間)が運行された。
 敗戦国日本の活発な脈動が聞こえて来るような気がしますね。


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2012年04月05日

第三天洋丸を背景に

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おやじメモより

 第三天洋丸を背景に
 切揚げ 顔の黒いものは誰もいない(太陽に当たることがないから)
 嬉しさのあまり 私友達は氷山くぢら背景にカメラを持って遊ぶ
 雪の上に立ち 寒さを我慢して 製油K.V.長今野さんと記念 29年3月(自分5年生)
 宮城県今野晴康氏クワナーボイラー係長と



 前記事の「帰郷直後」に書かれている第三天洋丸だと思いますので、きっとこの写真の位置は日新丸右舷で撮られたものでしょう。
 それにしても第三天洋丸がちっちゃい。
 望遠レンズ無かったろうしなぁ〜

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2012年01月05日

特別編 大洋漁業所属第十六利丸の事 

2011年3月11日
鯨の町を襲った津波・宮城県石巻市鮎川浜・・旧牡鹿町鮎川浜・・


NY Times 3月25日
「津波が日本の捕鯨産業の支柱を倒すのに成功したようだ」


津波に襲われた鯨の町 石巻市鮎川 アルジャジーラ2011年4月10日


【地震】陸の捕鯨船を再び海へ 捕鯨基地・石巻(11/05/11)


photo077.jpg☆ 小型沿岸捕鯨の事 
 ここが東北の捕鯨基地である宮城県石巻市鮎川浜です。上の動画で御覧の通り2011年3月11日の東日本大震災で大打撃を受けました。
 日本の捕鯨史からみれば小型捕鯨の歴史は浅く、鮎川に小型捕鯨船(ミンク船)が現れたのは昭和8年のことでした。しかも和歌山県の太地から移り住んで来た長谷川熊蔵が持ち込んだと記録されています。
 しかし、戦後の昭和22年には大洋漁業、日本水産、極洋捕鯨の3社が事業所を構え、当時の就業人口約5800人のうち、実に7割ないし8割が、上記3社に関係する人々となっていました。


TKY201103200322.jpg☆ 東日本大震災の津波で、宮城県石巻市給分浜の岸壁に打ち揚げられた捕鯨船を海に移動させる作業が16日午前に行われた。
 船は、同市の「鮎川捕鯨」が所有する「第28大勝丸」(47トン)で、市内の造船所で整備中に約二十数キロ・メートル離れた同岸壁に流された。船首を先頭に4分の3が岸壁に乗り上げていたが、クレーン2台でつり上げられ約1時間半後に海に移された。作業を見守っていた同社の遠藤恵一社長は「鯨を捕らないことには何も始まらないが、とにかくよかった」と笑顔を見せた。
(2011年5月16日11時33分 読売新聞)


photo077.jpg★ ホエールランド施設のご案内
  宮城県石巻市鮎川浜南61

 歴史を次世代へ残すべく建設された「おしかホエールランド」もまた、あの東日本大震災からは逃れられなかった。その様子は上から2番目のアルジャジーラの動画で見て頂いた通りです。
 そして、動画のタイムカウンターで 1:39/1:56 に写り込んでいた船が捕鯨船第十六利丸です。


photo077.jpgCATCHER BOAT

 捕鯨船 大洋漁業所属 第16利丸
 総トン数 758トン
 長さ    68.37m
 軸馬力  3500馬力
 補助エンジン  2基
 速力   17.5ノット
 昭和33年7月4日進水
 林兼造船(下関市)


Category:Toshi Maru No.16 (ship, 1958)
History
1958年 named Toshi Maru No.16 for Taiyo Gyogyo K.K.
    Flag: Japan
1976年 Transfered to Nippon Kyodo Hogei K.K.
1982年 Transfered to Nippon Hogei K.K.
1987年 decommissioned
1988年6月 presented to Oshika Town, Miyagi
1989年3月25日 Exhibition started at Oshika Whale Land, Oshika, Miyagi, Japan
 
 さて、2011年にこのブログを立ち上げてから捕鯨関係のHPやブログを時間がある限り検索しては読んでいます。
 捕鯨関係って意外に少ないと思っていた12月、CATCHER BOAT の捕鯨船 大洋漁業所属 第16利丸を発見しました。
 読むと書き手の息子さんと描かれている主人公の父上との関係が暖かく感じ、父上の人生に感動し、さらに捕鯨船の説明が分り易く書かれているので、早速連絡を取りたくてページ下のあや丸に戻るをクリックしました。
 「えっ、石巻で釣船あや丸をやっている・・・石巻で、『健康が優れず、やむなく休業中』・・・月の浦で、、、あ、2011年更新さえれてない。。。」
 これを読むと不安になりますよね。どうしても連絡を取りたくなり BBSに書き込んでみましたが反応が無い。メール送信したところ一応送れたので返信を待つ事にしました。こう言う場合のメールは若かれし頃のラブレターを待つようで、流れているはずの時間が止まってしまいますね。
 2011年12月31日。年末年始のアルコール漬けが始まったころ返信メールが届いている事に気づき「生きてる」と歓喜してメールを開きました。
 メールによると、息子さんは転勤族の為、他県在住のお陰で津波から免れていた事。ご両親はすでに他界されており、この度の大震災を経験されてない事。実家の全てが流された事。10名以上の身内や友人知人を失った事などが書かれていました。さらに、遠くから毎月ボランティアで訪れているとの事です。
 こういう方々が気力を振り絞って復興しているんだと思うと、あらためて津波の恐ろしさと、対して人間の無力を思い知るに至り、同時に力強さを感じました。犠牲になられた方々のご冥福を心深く祈り、復興地へ向けて微力ながらも力を出したいと思います。
 そして驚いたのが父上の人生です。
 大洋漁業へ入社したのが昭和19年。翌20年に女川沖で米国潜水艦の犠牲となった捕鯨船が沈没したとあり、その捕鯨船に父上が乗っていたというのです。
 まだ16才だった父上は、その若さで岸まで泳ぎ切ったそうです。
 昭和20年といえば、米軍が東北の港を空爆していましたので、その戦略に巻き込まれたのかもしれません。捕鯨船はその性能の高さから大日本帝國海軍の戦力として戦っておりましたから、米側の標的になっていたのは当然でしょう。事実、戦時中は多くの捕鯨船が犠牲になりました。
 
 これは父上が乗っていた捕鯨船ではないようですが、かつて海軍基地や日東捕鯨の捕鯨基地があった岩手県山田町の南陽寺に「新生丸戦没慰霊碑」という碑があります。

hi.jpg 碑文

 捕鯨船新生丸は第二次世界大戦のさなか食糧増産と鯨油資源確保の為
 あらゆる危険を冒して出漁した。
 たまたま昭和二十年六月二十三日未明
 トドヶ崎南東十五浬付近に於いて操業中
 米国潜水艦の襲撃を受け応戦もむなしく撃沈された。
 軍属船員としての乗組員七名はわかせ身を顧みずその任に励み
 遂に船と運命を共にして戦死した。 
 今謹んで当時を偲び霊を慰める為この碑を建てその冥福を祈るものである。

            昭和三十六年九月  柳原勝紀撰


 新生丸(木造19t 60馬力)七人乗員
 木造船では一溜まりもなかったでしょうね。 

 本州最東端のとどヶ崎から南東十五浬ということは、1海里=1.852kmですから×15=27.78km 。南東に27.78kmは下記図のあたりです。
Earth.jpg

 この場所だと女川沖ではありませんね。多数沈められた特設駆潜艇 (特設艦船の部→特設特務艇→特設駆潜艇)の一隻なのかもしれません。

 そしてついに発見しました。

◎ 別窓で拡大します
 1945年3月(昭和20年)。米海軍の潜水艦「セロ」(wikipedia)が多くの戦果を挙げながら7回目の哨戒で日本近海に向う。
 4月19日、特設監視艇第三五十鈴丸。
 4月22日、特設監視艇2隻。
 4月29日7時58分には釜石湾沖150度24海里の地点でタンカー大修丸。
 5月4日にはとどヶ崎灯台183度4.5海里の地点で神変丸。
 5月13日には北緯39度07分 東経141度57分 の気仙郡吉浜村沖で神南丸。
 5月20日にも北緯38度06分 東経142度24分 の金華山灯台沖で第五関丸西大洋漁業、377トン)を撃沈した。
 5月27日、セロは56日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投。

第五関丸.jpg

 父上はこの第五関丸に乗っておられたと思われます。
 しかし、一番近そうな金華山まででも74kmですから、若かれし頃とは言え、気骨のある方ですね。
 第五関丸は太平洋戦争時の喪失船舶明細表を見ると、
戦没年月日:20/05/20 
区分:C 
 船 名:#5関丸
総トン数:377  
   船主:西太洋漁業
戦没原因:雷撃  
  戦没場所:金華山東南東
戦死者数:船員18人

とあり、区分で第五関丸は海軍徴用船ではなく自営船だったのですね。見つかりにくいはずです。

 

hi.jpg 父上のその後はCATCHER BOATの通り、
 「戦後、GHQが捕鯨を認めると、父はすぐ横浜の造船所に呼ばれ、徴用された捕鯨船から大砲などの装備を外しにわか捕鯨船団をつくるのに動き回ったそうですが、その時、部品調達にGHQのジープが回されてきて、それに乗って初めて東京の焼け野原を見たそうです。父は当時二十歳前で、今でも鮮明に覚えているといっていました。
1945-3-10-2.jpg焦土と化した東京。本所区松坂町、元町(現在の墨田区両国)付近で撮影されたもの。右側にある川は隅田川。

 にわか捕鯨船団建造は、大変で、当時軍艦はあるのですが、まともな船はなく又タービンエンジンは捕鯨船に使えないため、やむなくエンジンの足りないのは、潜水艦のエンジンを載せたそうです。img389~.jpgしかし潜水艦のエンジンでは南氷洋の荒波には厳しく良く故障したそうです。とにかくうるさいエンジンだったらしいです。
 日本の潜水艦はUボートなどに比べ大型の艦が多くエンジンも軸馬力を上げるため無理した設計になっていたそうです。翌年父はノルウェイに捕鯨船の買い付けにも行っています。喜望峰を北上する大西洋は潮が良くジブラルタルまではとても航海しやすい海だそうです。イングランド以北の大西洋は絶えず氷山の危険が伴うのと対照的です。」

大西洋.jpg

 こうした父上の苦労もあり、終戦した昭和20年12月に水産統制令が廃止され、西大洋漁業統制株式会社が西大洋漁業株式会社と改称し、同月に大洋漁業株式会社と再び改称して、大洋漁業がいち早く南氷洋捕鯨に向けて一歩前進しました。
 そして1946年(昭和21年)12月。戦後初の南氷洋捕鯨に第一日新丸が船団を組んで長崎より出港したのです。
 
 その後父上は航海士の資格を取り、甲一の免許も取得し、1等航海士となり、昭和48年に共同捕鯨設立時に希望退社したとのことです。その間ノルウェイ1回、南氷洋23回、北洋10回の航海を行っています。戦後の大洋漁業と供に生き切ったという感じですね。
jikka0131.jpg 退職後は実家でカキの養殖業と釣り船屋を経営していました。それが★ あや丸です。
 ただ・・・
 非常に残艶な事に、2011年3月11日東日本大震災の津波で、家も想い出の写真も貴重な資料も、全て流されてしまいました。

photo080.jpg 大洋漁業所属第十六利丸は、父上が退職時に乗っていた最後の捕鯨船だったそうです。
 第十六利丸のその後は一旦父上と離れて1976年(昭和51年)に日本共同捕鯨株式会社で活躍し、1987年に廃船となった後、1988年6月に宮城県石巻市牡鹿町へ戻り、1989年3月25日、牡鹿ホエールランドに展示されます。
 父上にとってはかつての相棒との再会ですね。きっと言い知れぬ喜びがあったことでしょう。

kositu.jpgCATCHER BOATより
 まさしく父が乗船していた船室です。『船尾・船室』向かって左にベットがあり、その下がチェスト(写真では見えない)右手のソファは簡易ベットにも出来ます。昔はチークのきれいな木目が見えましたが保存状態が悪く残念です。当時、父は一等航海士でした。当時は椅子も木製でもっときれいでソファ、椅子に、木綿の純白のカバーがしてありました。宗谷の船室も海の科学館で見ましたが良く似てました。

soudasitu.jpg ここが、航海士だった父の仕事場です。捕鯨船の航海士は、船長、一等航海士、二等航海士の3名です。(タイタニックには五等航海士までいたっけ!)それぞれ、キャプテン、メッツアン(メイト)、セコンド(セカンドオフィサー)と呼ばれていました。暴風圏の荒天時はこのブリッジ以外は全て水没?(ほぼそれに近い状態)し生きた心地がしなかったそうです。それにしても捕鯨船の航行能力はすばらしくまさしく保存される価のある船であることは間違いありません。


大洋漁業の捕鯨船の船名の由来

 船は、女性名詞であるので、大洋漁業ではオーナーの中部氏の娘さんの名前をつけました。利丸、関丸、文丸。全部で何隻あったかはわかりません。2船団あったと思います。日本全体では全盛期は6船団ありました。現在現役の大型捕鯨船は3隻のみです。ちなみに親父の釣舟『あや丸』は、私の亡き母の名前です。

 より詳しくはCATCHER BOAT

● 因に、この第十六利丸の初代砲手が世界記録を残した「泉井守一(いずい・もりいち)氏」です。

● 残念な事に、2012年9月20日付けの建設通信新聞 公式記事ブログによると、石巻市は、被災公共施設再建(廃止)方針案で「おしかホエールランド」廃止を発表した。
 被災公共施設再建(廃止)方針案の対象は、市有施設507棟のうち、津波被害などを受けた155棟。主な施設の再建策では、雄勝と北上の両総合支所は移築にあわせて公民館などと複合施設化を図る。
 石巻地区の文化センターおよび市民会館は、ホールと博物館機能を持つ複合施設として新築、牡鹿地区のおしかホエールランドは廃止し、新設する海の駅に機能を移転する方針だ。
 
 そっくり移転できるのだろうか?
 少々縮小する事に成っても残して欲しいです。 
 箱物の復興も大事ですが、教育の復興もないと、何も学べないタダの記念日や記念館にしか成りませんね。
posted by てっち at 02:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月07日

元陸軍少佐

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おやじメモより

 八戸組の甲板作業 支持(元陸軍少佐)


 まだ敗戦の臭いがプンプンする中での復興時代ですよね。
 少佐とは軍隊の階級の一つです。

    大元帥・元帥
将 官=上級大将・大将・中将・少将・准将
佐 官=代将・上級大佐・大佐・中佐・少佐・准佐
尉 官=上級大尉・大尉・中尉・少尉
准士官=准尉
下士官=曹長・軍曹・伍長
 兵 =兵長・上等兵・一等兵・二等兵

 恐らく写真の方は能力が高かったのでしょう。
 wikipedia によると、少佐(しょうさ)は軍隊の階級の一。佐官に区分され、中佐の下、大尉の上に位置する。北大西洋条約機構の階級符号では、OF-3に相当する。
 アメリカ軍を始めとして主要国の軍隊では大尉から少佐に昇進する時に特別な専門教育を受ける。これは少佐以上の階級の軍人は一つの作戦単位の指揮官となることを求められるからである。そのため能力の不十分な大尉は少佐に昇進することができないまま除隊することが多い。士官にとっては一つの出世の壁と言っても良い。
 陸軍では主に大隊長または中隊長等を務める。

 

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2011年10月06日

鯨油製造39tonボイラー運転

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おやじメモより

 助手 兵庫県山下君と自分 国会議員の息子と
 何でエライ所の人を私にぶっつけてよこすのか? 
 鯨油製造39tonボイラー運転 (約5tonの油)
 


 へ〜^^
 おやじも入社数年のところですから、助手が出来たのはいいけれどみたいなところなのでしょうね。
 39tボイラーで5t位作ったという意味でしょうか?
 写真をよく見ると後ろのタンクに「V NO.3」という文字が見えます。
 おそらくこれは「K.V NO.3」だと思われます。
 おやじメモに「K.V 11台、H.M 3台」とあったので、K.Vの3号機ということでしょう。
 K.V はクワナーボイラー、H.M はハートマンボイラーといい、どちらも鯨の食肉以外の部分から鯨油をつくる為の鯨油採取機器です。


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2011年10月01日

ほほう^^

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おやじメモより

 柏??大会優勝記念 乗船前の自分 23年度夏 柏木町青年団大会 大坊小学校 捕鯨に行く前に身体を鍛えた 


 へぇ〜っ^^ やるな〜^^
 この写真はアルバムの中では、ちっちゃく、しかし存在感が有る写真です^^
 それにしても何の大会の優勝記念なんだろ?相撲という体型ではないが・・・?

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2011年09月30日

製油工場代表 赤道祭篇(相撲)

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おやじメモより

 製油工場代表 B:解剖 対馬さん
        C:高瀬さん
        D:中谷さん(四国)



 としか書いてませんが、後列の左がおやじです。

posted by てっち at 16:45 | Comment(0) | 人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする