2014年03月19日

横内さん

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おやじメモ

 野内の横内さん 後、漁組の理事長 



 写真は前ページと同じですね。
 日本から見てシンガポールを少し進んだ赤道付近でしょう。
 母の話によるとおやじより先に他界されているようです。
 ウイスキーが大好きで、よく呑んでいたらしい。
 ある日、会いたくなったからと野内からタクシーで弘前に来て「2万円かかった」と豪快に笑っていたとの事。
 
posted by てっち at 17:53 | 青森 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日新丸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月14日

日新丸の籠

甲板.jpg

おやじメモ

 こうして捕鯨に参加して三十年



 このメモは後から書かれたものでしょう。
 写真は昭和26年の入社時から昭和31年頃までに撮りためたものを整理しています。
 おそらく荷物をキャッチャーや中積み船とやり取りする為の籠を作っているのかも知れません。
posted by てっち at 14:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日新丸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月20日

帝王ペンギン?

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おやじメモより

 帝王ペンギン 操業中堤主人に撮影していただく



 写っているのは父(26)です。

pgn-bner.gif 以前もお世話になった「ペンギンの達人」さんで調べてみましたら「帝王ペンギン」という種類がない。他で調べてみても、ない。これはいったいどういう事か?

 帝王ペンギンという名で紹介しているブログやホームページもありましたが、そこで紹介されている写真をよく見るとキングペンギンが多いようです。現在の分類法でいう「Aptenodytes コウテイペンギン属」を言っているのだろうと思われます。

 さて、ペンギンの分類については諸説あり、そもそも飛べない鳥は鳥か?という議論がぶつかっていたようです。現在(2012年)でも、6属17種、6属18種、6属19種とあり、ここでは「ペンギンの達人」さんに習って6属17種で話を進めたいと思います。

 エンペラーペンギン属(Aptenodytes 翼の無い潜水者)には「皇帝(コウテイ)ペンギン」と「王様ペンギン」の2種類があります。

emplor.jpg  king.jpg

 この図とおやじの写真を比べてみると、写真のペンギンは「皇帝(コウテイ)ペンギン」であることが分かります。
 きっと、こういう色が付いていたでしょう。
0img007.jpg

 ペンギンは南半球に広く生息していますが、南極大陸で繁殖するのはコウテイペンギンとアデリーペンギンの2種のみだそうです。
 
 以前にも紹介した下記の資料によれば、この時代はまだ専門家が直接南極大陸に行ってないんですね。
5.5.1 南氷洋で見られた鳥類に関する報告書
Sighting survey from the bridge at watch time (Wild birds)
田中 麻紀子
Makiko Tanaka

 この資料を開くと次のように書かれていました。
1.はじめに
 第15次遠洋航海(2004年11月17日~2005年3月12日)で、鳥類の分布状況を調査することを目的として目視観測を行った。とくに南極の鳥に関する情報の多くは鳥類学者ではなく、鳥類学を専門としない海洋研究者や調査捕鯨などに従事する者からのものである。南極海を全体として1つの生態系と見るとき、高次栄養段階に属する鳥類・海産哺乳類の研究は重要であり、南極海の生物資源管理のための基礎資料を得るためには長期にわたるデータの集積が必要となる。

3.結果及び考察
  2004年12月31日~2005年1月26日までのLEG1における南極観測では33種約1775匹の鳥類が確認された。


 また、中日新聞に下記のような記事が載っていました。

中日新聞
http://www.chunichi.co.jp/hold/2009/nankyoku_dayori/CK2009010802000225.html
【南極便り】
 日本南極地域観測隊では、1961年(昭和36年)から昭和基地周辺のアデリーペンギンの個体数調査(ペンギンセンサス)を行っている。個体数の変動は気候変化、海氷条件、人間の漁業活動などの影響を受け、モニタリングは南極環境の調査としても有意義と考えられる。49次越冬隊には生物部門の隊員がいないので、医療担当の橋本隊員が中心となって調査を計画、実施した。調査のため宿泊を伴う海氷上の旅行が2回計画され、私はそのリーダーを務めた。


 日本南極地域観測隊でさえペンギンの個体数調査をはじめたのが昭和36年なんですね。
 ということは、昭和29年のこの頃は大洋漁業に限らず各社の捕鯨船団がクジラを狙いながら南氷洋調査もしていたのでしょう。

wikipediaによると
 昭和基地(しょうわきち)は、南極圏内の東オングル島にある日本の観測基地。南緯69度00分22秒 東経39度35分24秒 座標: 南緯69度00分22秒 東経39度35分24秒 、標高29.18m。基地の名称は建設された時代の元号「昭和」にちなむ。

 昭和基地の歴史は、ほぼそのまま日本の南極観測の歴史でもある。
 1951年(昭和26年)に国際地球観測年が提唱されると、日本はこれに参加を希望した。当初、赤道観測を行う予定であったが、予定地の領有権を持つアメリカの許可が出ず、1955年(昭和30年)2月、南極観測に切り替え、12か国による共同南極観測に参加した。本来は2次で終了する予定であった。準備期間が短く、観測船「宗谷」も旧船を急ぎ改造したものであった。観測隊出発まで基地の場所は決まらず、決定は隊長に一任されていた。
 1956年(昭和31年)に出発した南極観測船「宗谷」で永田武隊長率いる第1次南極観測隊53名が東オングル島に到着。
 1957年(昭和32年)1月29日、永田らが上陸、昭和基地と命名する[1]。1月31日の正式決定のあと2月1日から建設が始まる。2月8日、永田はここで一夜を明かした。永田らは2月15日に離岸する。このとき完成していた棟は4つで、うち1つは発電棟だった。隊員のうち西堀栄三郎副隊長兼越冬隊長以下11名が越冬した。1次隊は観測器具が凍りつくなどの極度の困難が続いた。このときに輸送などで活躍したのが、樺太犬による犬ぞりであった。
 一方2月15日に離岸した「宗谷」は分厚い氷に完全に閉じ込められ、28日に当時の最新鋭艦だった旧ソ連の「オビ」号に救出された。
 1958年(昭和33年)、1次隊に続けて隊長となった永田率いる第2次観測隊を乗せた「宗谷」は深い岩氷に挟まれ、接岸を断念。2月14日、1次隊越冬隊の全隊員は飛行機とヘリコプターで脱出した。犬のうち15頭はその後の活動のため残された。しかし天候は回復せず、2月24日正午(一説では13時)、永田は越冬不成立を宣言。犬は置き去りにされた。当初2次で終了する予定であった観測隊が、2次観測隊の不成立により3次まで延長され、1年後に第3次越冬隊が昭和基地に到着すると、犬のうちタロとジロの2頭が昭和基地で生き残っているのが発見された。この逸話は映画「南極物語」になり、大ヒットしている。


映画「南極物語」 ShortCut Clip/ED 投稿者 spyagent0011

ペンギン

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2012年08月24日

入港式 (横須賀)

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おやじメモ

 弘前組のネブタと駒踊りの姿



 弘前組のネブタと書いていますが、まさかねぶた本体を日新丸に持ち込んではいないでしょう。たぶん、弘前ねぷたの「もんどりこ」か、青森ネブタのように跳ねたのでしょうね。これなら太鼓と笛が有れば出来ますし、手振り鉦はステンレスの灰皿二枚有れば自作できますしね。みんなで楽しんだのではないでしょうか。
 写真の中の左から後ろの三人が、いわゆるネブタの定番衣装です。



 駒踊りといえば全国的にもありそうですが、たぶんここで言っている駒踊りは、南部(青森県太平洋側と岩手県北)に伝わる各地の駒踊りではないかと思われます。
 八戸組が踊ったと書いてあれば確定なんですが、弘前組(津軽衆)が南部駒踊りを踊ったとは考えにくいですね。



 八戸組と言えば、元陸軍少佐がいるところでしたね。

 さらによく考えてみると、戦後間もない捕鯨船団はどの会社の船団も、乗組員の殆どが元軍人だったのかも知れませんね。戦争を知らない最初の世代であるおやじ達は、いや、いやいや、ギリギリで戦地に行ってないだけで戦争は体験してますね。そんな集団の中で若者達が鍛えられて行ったのでしょう。



タグ:日新丸
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2012年08月19日

入港祝い

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おやじメモ

 入港祝い この日 女優の久我よし子 湯の町エレジーを歌った歌手と楽団の人達が舞台に立つ。
 舞台を造って演芸を行う 笛を吹けと事業長兼副船団長から命ぜられマイクの前に立つ自分
 挨拶は中尾事業長 赤城の子守唄 踊りは宮城県の二人

 

 久我よし子さんといえば、同期に三船敏郎、堀雄二、伊豆肇、若山セツ子、堺左千夫らをもつ女優さんで久我 美子といいます。昭和22年(1947年)、学習院を中退し、『四つの恋の物語』で映画デビューを果たす。
 この写真が撮られたであろう昭和29年には「女の園」などの映画に出演していました。 

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 湯の町エレジーとは、作詞:野村俊夫
           作曲:古賀政男
           昭和23年(1948年)に近江俊郎が歌って大ヒットした流行歌で
           す。

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 赤城の子守唄とは、作詞:佐藤惣之助
          作曲:竹岡信幸
          昭和9(1934)年2月に日本ポリドール蓄音器株式会社により
          発表された歌謡曲の題名。東海林太郎が歌った。

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2012年08月18日

帰港

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 ちょっと不思議に思うのは、やはり岸壁にはつかないんですね。
 荷物を満載にしているからでしょうか。
 水深が足りないのかな?
 船で人を輸送しています。


参考資料
 ☆ くじらぼ
 ☆ 横須賀港の紹介
 
タグ:帰港
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2012年08月01日

入港式完備

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おやじメモより

 入港式完備 日新丸 
 ドヤドヤ乗船する 家族者は大きく広い日新丸へ、父、兄、我が子を懐かしい会見をする。
 この入港はくじらのあらゆる肉を焼き鳥にして三軒の屋台を作り、製油工場の顔色の白い連中が三日前から作り上げたものを炭火で焼いて、一升瓶をずらりと並べ、全員に無料サービスに当たる。



 二代目日新丸であろうと思われます。
 クジラの肉を焼き鳥にするって、面白い表現ですね。
 一口サイズの肉を串に刺していたのでしょう。
 そういえば、退職後に焼き鳥屋をやりたいと言ってましたっけ。



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2012年06月21日

入港準備

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おやじメモより

 入港を前に作業を急ぐ解剖諸君



 いよいよ入港が近づいているんですね。あと数日か。
 捕鯨母船だからといって、くじらの処理だけしていればいいというものではないらしい。
 もしかすると、俎板を解体しているのかも知れませんね。甲板に戻してから入港するのでしょう。


おまけ 1954年制作 つばめを動かす人たち



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2012年05月10日

赤道際で「劇」 ミナシキ16mm映写機

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おやじメモより

 赤道際の1ページ 劇=姉=主役の自分
            父=東京の三枝さん
            妹=香川県の香川さん
            外=一同



 劇までやっていたとは、、、どんな劇だったのでしょう。
 写真が小さいのでスキャンしてもハッキリしませんでした。
 動画の記録は残ってないでしょうね。今なら携帯電話でも録れますが、この時代はビデオカメラもない時代です。8mmフイルムカメラだって手に入らなかったかもしれません。

日新丸 映画 南十字星のページで紹介した写真に写っている映写機をネットで探していたのですが、素人の私ではなかなか辿り着かず、ついに本日(5/15)見つけた シネマ映像館 さんへHP内の「『19・コマ』感想を送ってください」から問い合わせをしてみました。
 ご多忙のところ早速ご指導を頂き感謝しております。
 さて、HP管理人さんである「ITOH AUDIO」の伊東さんによると、この映写機は「ミナシキ16mm映写機」であることが判明致しました。しかもおよそ50年前にご本人が所有していたとのことでした。やはり、その道の人に尋ねるのが一番早いですね。
 私にはてっきり高さ調整の為に使っているように見えていた映写機を載せている台も、なんと真空管アンプだと解りました。この映写機はアンプが分離されているのだそうです。お恥ずかしい限りであり、そう聞くとどんな音だったのか聞いてみたくなりますよね。
 実際、アンプの上に映写機を載せてセッティングするのは大変だったようです。
 そこで伊東さんご自身が真空管アンプを使わなくてもいいように、映写機本体に小型アンプを組み込むという改良をしたそうです。
 既に販売しているのですが、持ち主が下さったと言う写真も送って頂きました。
16mm.JPG
 俺は映写機だ!みたいなカッコ良さがありますよね。

 そして伊東さんは2009年4月、NHKの教養バラエティー番組『熱中時間 忙中"趣味"あり』で8ミリフィルム熱中人 と紹介された「熱中人」でした。
 今でも映写機の改良をしているようですので、相談されたい方は是非こちらへ!

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 そもそも映画は19世紀前半に完成されていた写真技術を発展させたもので、様々な研究者がしのぎを削っていた中、1893年(明治26年)にアメリカのトーマス・エジソンが自動映像販売機(映写機)キネトスコープをシカゴ万国博覧会で一般公開したことから始まりました。

421px-Kinetoscope.jpg キネトスコープ←ところがこのエジソンのキネトスコープは、まだ箱の中を覗いて観る方法で、スクリーンに映し出すものではありませんでした。それでも翌年の1894年4月14日には、ニューヨークのブロードウェイ1155番地に世界初の映画館が設置されたのです。
 このエジソンが発明したキネトスコープを日本で最初に上映したのは神戸の神港倶楽部で、1896年(明治29年)11月25日から12月1日までの間でした。
 きっと裕福な人達がキネトスコープを覗いていたのでしょうね。
 日本の映画の日が12月28日から12月1日に変更されたのは、この日付に因むためと云われます。
 因みに神港倶楽部は、現在の神戸市にあるメリケンパーク(兵庫県神戸市中央区波止場町2)の中にメリケンシアターの碑として残されています。

シネマトグラフ 諸説有るものの、1894年。パリでエジソンが開発したキネトスコープを見たアントワーヌは、即座に息子達であるリュミエール兄弟に研究を命じ、キネトスコープの改良型シネマトグラフを開発しました。
 この開発で映画はスクリーンに投影されるようになり、多くの人が同時に楽しめるようになったのです。
 上映された作品は、撮影場所 : フランスのリオン、製作・監督 : ルイ・リュミエールの『工場の出口』(原題: La Sortie de l'usine Lumière à Lyon)という世界初の実写映画で、50秒ほどのモノクロ無声ドキュメンタリー映画でした。

 リュミエールが発明したスクリーン式の「シネマトグラフ」は1897年 (明治 30年)、大阪の南地演舞場や京都で披露されています。

 それでは、世界初の映画をパソコンで御覧下さい。


 工場から出てきた人達が、なぜ上流階級の服を着ているのかですって?
 それはわかりませんね^^

 さて、フイルムの巾が35mmなのは、アメリカの実業家であり発明家でもあったジョージ・イーストマンが1882年(明治15年)に硝子から乳剤を塗った紙を利用したロールフィルムを開発した事から始まっています。
 1888年(明治21年)、ロールフィルム・カメラの特許を取得して「あなたはシャッターを押しさえすれば、後は我々がやります("You press the button, we do the rest")」の宣伝文句のもと、カメラ一台で100枚写真が撮れるフイルム装填済みカメラを発売しました。今で言う「写るんです」に近い方法ですが、カメラ本体は使い捨てではなく立派な作りで、写真を撮り終わったカメラを現像に出すと写真と一緒に新しいフイルムを装填してお客様の手に戻すというシステムでした。
 1888年(明治21年)9月4日、イーストマンはコダックの商標を取得し、世界最初のロールフィルムカメラ「No.1コダック」を発売。この時代、カメラとフイルムを一気に普及させた人物です。
 1892年、映画の発明家であるフランス人のル・プランス、レオン・ボウリー、リュミエール兄弟、ジョルジュ・メリエス、フランス系スコットランド人のウィリアム・K・L・ディクソン、アメリカ人のトーマス・エジソンなどがイーストマンから供給されたフィルムを使っていた事から、映画発明の基礎技術として確立しました。

 16mmフイルムが登場したのは1923年 (大正12年)。これも米国のコダック社の企画でした。
 そして、1932年 (昭和7年)。コダック社は16mmフィルムのまま往復8mmづつ使って撮影し(シネコダック8、後のダブル8)、現像後に半裁するという方法を用いてカメラを開発しました。これが8mmフイルムの始まりとなり、後に様々な形式が登場するのです。

800px-Toyota-crown-1st-generation01.jpg初代クラウン(福山自動車時計博物館所蔵)Taisyo 
 日本ではトヨタ自動車が元旦にクラウンを発表し、芸能では明石家さんまやキャンディーズのランちゃんが産声をあげ、政界は二大保守政党の自由党と日本民主党が合併し、自由民主党が誕生する(保守合同)。その後38年間続いたいわゆる55年体制の幕開けとなった1955年(昭和30年)、国産初の8oカメラ(Cinemax 8)が瓜生精機から発売されました。
8miri16.jpg また同年にエルモからエルモ8Aが発売され、日本の8mmカメラ史の幕開けとなりました。興味深い点は、この時代はまだ電動モーターではなくスプリング式だったんですね。時計のような精密機械だったという訳です。
 その後様々な改良が施され、1980年代後半にビデオカメラが登場するまで、動画を記録する道具として君臨していました。

←国産初の8oカメラ(Cinemax 8)


k100j01.jpg←エルモ8-A
ゼンマイ式8oカメラ館より



1956_8t.jpg←Cine 8-T
1956年(昭和31年) 11月発売
48,000円
国産3機種目の製品でありキヤノン初の8mmシネカメラで、通産省のグッドデザイン賞(わが国Gマーク)の第1号に選定される栄誉を受けた。
カメラ館より

posted by てっち at 23:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日新丸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月08日

ペンギン

ペンギン


おやじメモより

 ペンギン島を前に、今度主人になられた堤大四郎さんに撮影してもらう。岡田製油長と自分。




 ペンギン島は日本から見ると南極大陸の向こう側です。
 南極海のサウス・シェトランド諸島の一つであるキングジョージ島の南岸すぐ近にあり、位置と大きさは西経57度93分、南緯62度10分の南極にある幅約1.4km、長さ約1.7km、最高峰は180mです。

 クレーターのようなものが見えますが原水爆実験の跡などではなく、ペンギン島は玄武岩質スコリア丘(マグマの噴火によって出来た丘)であり、1905年ごろに噴火した跡のようです。
 日新丸はこの近くに停泊していて、この記念写真を撮ったのでしょう。


 写真のペンギンではありません。私が幼稚園くらいのころでしょうか、おやじが持ってきたペンギンの剥製です。あらためて見ると、大分痛んでますね。

201205101459000.jpg

 

pgn-bner.gif このペンギンの種類をこちら「ペンギンの達人」さんで調べてみました。
←バナーをクリックして「分類」を参考にさせて頂きました。



ペンギンimage.jpg

 色々調べてみましたら、嘴の特徴からアデリーペンギン属(Pygoscelis)ジェンツーペンギンであろうと思います。足が黒く写っていますが、昔は嘴のような色だったと記憶しています。

←クリックすると別窓で詳細ページが開きます。


 おやじの写真に写っているペンギンは、私では判別出来ません。
 
 捕鯨船団は鯨を捕ってるだけではありませんでした。「南氷洋にもカモメがいた。」で紹介した中に「南極の鳥に関する情報の多くは鳥類学者ではなく、鳥類学を専門としない海洋研究者や調査捕鯨などに従事する者からのものである。」とありました。

 電通さんの記録によると、
1951年(昭和26年)
 ○動物園ブーム続く−王子動物園(神戸)(3.20),野毛山動物園(横浜)(4.1 ),円山動物園(札幌)などが開園。上野動物園に戦後初のペンギンが大洋漁業「第2天洋丸」から贈られる(4.21)
 とあります。
 
おまけ 応接室に飾ってある写真です。多分、剥製と同じアデリーペンギン属(Pygoscelis)ジェンツーペンギンの群れだと思います。
DSCN7691.jpg

もう一つおまけ
 2014年6月23日。フジテレビ「スーパーニュース」の「ペンギンだらけの水族館 世界初のアイデアで人気」という特集のなかで、おやじの写真がチラッと紹介されました。


タグ:ペンギン
posted by てっち at 17:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日新丸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする