2014年07月15日

日章丸と第三日新丸

日章丸
クリックすると拡大します

おやじメモ

 なし



 メモはありませんが拡大してみて分かりました。日章丸と第三日新丸です。
 場所は佐世保の第四岸壁に日章丸、第三岸壁に第三日新丸が停泊しています。

 img100まる.jpg
 佐世保湾 佐世保重工業株式会社


 と、いうことは、この写真の手前に写っているタンカーは出光の日章丸三世ですね。
第三日新丸.png このお尻は第三日新丸

 おやじが日章丸に乗船させてもらって第三日新丸を撮ったのでしょう。

 さらによく見ると日章丸には足場が下げられています。塗装中のようですね。船名を書き入れたばかりかもしれません。写真の左下に写っている小屋のようなものに塗装係と書いています。

日章丸三世
起工 1961(昭和36)年11月18日
進水 1962(昭和37)年07月10日
竣工 1962(昭和37)年10月07日
その後 1978年解体

 
 という事ですから、この写真は進水の昭和37年07月10日から竣工の10月07日までの間に撮られた写真という事になります。この時期なら納得です。このあと第三日新丸は南氷洋に向けて出港したでしょう。 

日章丸三世

 設計は佐世保重工業と石川島播磨重工業が協同で行い、契約船価は50億2,200万円(当時)。 1962年10月7日に佐世保重工業佐世保造船所で竣工した当時は世界最大のタンカーであり、また単機最大出力28,000馬力の蒸気タービンは、タンカーに搭載されたものでは最大であった。 竣工後、ペルシア湾から出光興産徳山製油所への原油輸送に従事したが、1978年に台湾の高雄で解体された。
 日章丸(にっしょうまる)は、出光興産の子会社である出光タンカーが所有・運航していた原油タンカーである。

 総トン数  74,869 トン
 載貨重量トン数 132,334 トン
 満載排水量 163,360 トン
 全長 291.0 m
 垂線間長 276.0 m
 型幅 43.0 m
 型深 22.2 m
 吃水 16.57 m
 主機 石川島播磨重工業製蒸気タービン 1基
 出力 28,000馬力(最大)
 25,500馬力(常用)
 航海速力 16.25ノット
 最高速力 17.19ノット
 乗員 71名

 本船の竣工直後の姿を克明に追った短編映画『日章丸』が、竣工の翌年(1963年)、本船の船主である出光興産の企画の下、東京シネマ(現・東京シネマ新社)の手により製作された。
http://www.kagakueizo.org/movie/industrial/71/



日章丸事件

 時代は「黒いダイヤ」と言われた石炭から「油の一滴は血の一滴」と言われた石油に移り変わろうとしていた。国を豊かにする為にも戦争をする為にも原油を確保しなければ戦えないのである。

1859年 アメリカの鉄道員だったエドウィン・ドレークがペンシルベニア州オイル・
    クリークで機械掘りに成功する。これが世界の石油産業の始まりとなる。
1901年 イギリスの探検家であるウィリアム・ノックス・ダーシーが、ペルシャ国王の
    モザファール・デイン・シャーから国土の3分の2に及ぶ広大な地域の石油掘
    削、販売、輸出を行う権利を買った。条件は8000ポンドと事業純益の16%を
    支払うというものだった。
1908年 探検家ダーシーはついにペルシャ南西部のアスマミ山のマイダン・
    ナフトゥーンに中東初の大油田を掘り当てた。
1909年 ダーシー (William Knox D'Arcy) がアングロ・ペルシャン・オイル・
    カンパニー (APOC) を設立、イランの油田操業を開始。
1914年 第1次世界大戦勃発。この戦争は先進諸国に石油の重要性を認識させた。
    イギリスの海軍大臣だったウインストン・チャーチルは、アングロ・ペルシャ
    石油会社の株を52.55%(200万ポンド)を買収し、半国営会社とした。
    1950年代までにイランの地下から吸い上げた石油による利益は、初期投資額の
    400倍を超えるとも言われているが、イラン国民は石油の恩恵をほとんど受け
    ていない。純益の16%もうやむやにされる。
1951年 イランが石油の国有化を宣言。反発したイギリスは、中東に軍艦を派遣し、
    石油買付に来たタンカーの撃沈を国際社会に表明する。
1952年 6月19日、イランの原油を積んだイタリアの「ローズ・マリー号」が、イギリ
    スの軍艦に拿捕され、イギリスの直轄植民地であるアデンに強制入港させら
    れ、そこで積み荷を差し押さえられた。

    その頃、敗戦した日本では米国による実質的な間接統治下にあり、石油を
    自由に輸入する事ができないでいた。それが戦後復興の足かせになっていた
    のである。
    同年日章丸(二世)竣工。重量トン数:19,074トン 当時日本最大のタンカー
    が建造された。

当時のセブン・シスターズ(メジャー)
1, スタンダードオイルニュージャージー(後のエッソ、その後1999年にモービルと
 合併しエクソンモービルに)
2, ロイヤル・ダッチ・シェル(オランダ60%、英国40% )
3, アングロペルシャ石油会社(後のブリティッシュペトロリアム、2001年に会社名
 の変更でBPに)
4, スタンダードオイルニューヨーク(後のモービル、その後1999年にエクソンと合
 併してエクソンモービルに)
5, スタンダードオイルカリフォルニア(後のシェブロン)
6, ガルフオイル(後のシェブロン、一部はBPに)
7, テキサコ(後のシェブロン)

 メジャーと呼ばれるセブン・シスターズに世界の原油を牛耳られていた時代、どこかと繋がっていないと原油を買えなかった。日本は当然アメリカから買っていた。というか、買うしかなかった。

 後にアーバーダーン危機と呼ばれたイランに対するイギリスの軍事力による経済制裁はイランを苦しめていた。日本政府としてはアメリカにはもちろん、翌年の1953年(昭和28年)6月2日はエリザベス二世女王の戴冠式に天皇の名代として皇太子の出席が決まっており、イギリスにも口を出せなかった。

 こんな背景の中で出光興産創業者である出光佐三は思った。
 
 泥棒はイランではなく、むしろイギリスではないか(海賊と呼ばれた男)、と。
 「世界の石油業界は『七人の魔女』と呼ばれる欧米の石油会社に長い間支配され続けてきた。イランはそれに立ち向かう勇気ある国である。イランはそのため厳しい経済封鎖を受け、彼を助ける者は誰もいない中、世界から孤立し、困窮に喘いでいる。」
 「イランの石油を買おう」

1950_ph001.jpg1953年 3月23日、日章丸二世が神戸港を
    極秘裏に出港した。行き先を知っ
    ていたのは船長と機関長の二人だ
    けであった。

    4月05日、コロンボ沖で暗号電文
    を受信し、全乗組員へ目的地を告
    げ、無線封鎖をする。当時として
    は大型タンカーだった為、本当に
    アーバーダーン港で原油を積み、イギリス海軍に拿捕されないで帰国できるか
    どうかは誰にも分からなかった。

    4月10日、イギリス海軍の警戒網をかいくぐり、アーバーダーン港に入港。
    翌日の地元新聞はイラン経済に希望を与えるものだと賞賛と歓迎の報道をし
    た。一方、AFP、ロイターも日章丸を報道し、世界が知るところとなる。

日章丸事件.jpg

あーばーだん.jpg

1953年 4月15日、ガソリンや軽油約2万2千kl積み込みアーバーダーン港を出港。船
    底部を擦りながら浅瀬を突破!オイルは米国よりも良質だった。

    4月16日、夜陰に紛れてホルムズ海峡を通過し、変則之字航行(敵のレーダー
    に映っても、どこへ向かっているのか分かりにくくする方法)しながらイギリ
    ス海軍によるアラビア海の警戒網をくぐりぬける。

    4月26日、大きく迂回しスンダ海峡を通過しイギリス海軍駆逐艦三隻を回避。
    同日、夜陰に乗じてジャワ海の危険な暗礁海域を通過しイギリス海軍を回避。

    4月29日、ガスパル海峡を通過。

    4月30日、南シナ海に到達し、無線封鎖を解除、出光と連絡を取る。

    5月07日、日章丸に撒かれたイギリスは即座にアングロ・イラニアン社より仮
         処分申請を東京地裁に提出した。

    5月09日、川崎港に到着。同日、東京地裁にて第一回の口頭弁論開かれる。通
         産省玉置次官、通産省はこの紛争に巻き込まれたくないとの見解を
         記者に述べる。

    5月13日、陸揚げを完了し、船の差し押さえを逃れる。
    5月14日、イランに向けて再度出港し、貿易を既成事実化する。
    5月16日、東京地裁にて第二回口頭弁論開かれる。
    5月27日、東京地裁、仮処分申請を却下。
    5月27日、日本外務省が政府は何ら関与しない旨を発表。
    6月    イラン政府、出光との当初の契約を見直し、石油価格を大幅減額で
         提供する旨を発表。
    6月07日、アーバーダーン港に再度到着。イラン政府高官、および数千人の民
         衆の出迎えを受ける。

 
因に1953年(昭和28年)、国会ではこんな事が有った。

 2月28日、衆議院予算委員会で吉田茂首相と社会党右派の西村栄一議員との質疑応答
      中に起こった「バカヤロー」発言。
 3月14日、衆議院バカヤロー解散。
 4月19日、第26回衆議院議員総選挙。

問題となった、吉田と西村の質疑応答の内容。
西村「総理大臣が過日の施政演説で述べられました国際情勢は楽観すべきであるという
   根拠は一体どこにお求めになりましたか」
吉田「私は国際情勢は楽観すべしと述べたのではなくして、戦争の危険が遠ざかりつつ
   あるということをイギリスの総理大臣、あるいはアイゼンハウアー大統領自身も
   言われたと思いますが、英米の首脳者が言われておるから、私もそう信じたので
   あります。(以下略)」
西村「私は日本国総理大臣に国際情勢の見通しを承っておる。イギリス総理大臣の翻訳
   を承っておるのではない。(中略)イギリスの総理大臣の楽観論あるいは外国の
   総理大臣の楽観論ではなしに、(中略)日本の総理大臣に日本国民は問わんとし
   ておるのであります。(中略)やはり日本の総理大臣としての国際情勢の見通し
   とその対策をお述べになることが当然ではないか、こう思うのであります」
吉田「只今の私の答弁は、日本の総理大臣として御答弁致したのであります。私は確信
   するのであります」
西村「総理大臣は興奮しない方がよろしい。別に興奮する必要はないじゃないか」
吉田「無礼なことを言うな!」
西村「何が無礼だ!」
吉田「無礼じゃないか!」
西村「質問しているのに何が無礼だ。君の言うことが無礼だ。(中略)翻訳した言葉を
   述べずに、日本の総理大臣として答弁しなさいということが何が無礼だ! 答弁で
   きないのか、君は……」
吉田「ばかやろう……」(自席に戻る際ボソッと呟くように吐き捨てる)
西村「何がバカヤローだ! バカヤローとは何事だ!! これを取り消さない限りは、私はお
   聞きしない。(中略)取り消しなさい。私はきょうは静かに言説を聞いている。
   何を私の言うことに興奮する必要がある」
吉田「……私の言葉は不穏当でありましたから、はっきり取り消します」
西村「年七十過ぎて、一国の総理大臣たるものが取り消された上からは、私は追究しま
   せん。(以下略)」


 通産省がこの紛争(日章丸事件)に巻き込まれたくないと記者に述べたり、日本外務省が政府は何ら関与しない旨を発表したり、今も昔も日本の政治は変わってませんね。

新セブンシスターズ
1 サウジアラムコ(サウジアラビア)
2 ペトロナス(マレーシア)
3 ペトロブラス(ブラジル)
4 ガスプロム(ロシア)
5 中国石油天然気集団公司(中国)略称:CNPC、中石油、ペトロチャイナ
6 イラン国営石油(NIOC)(イラン)
7 ベネズエラ国営石油会社(PDVSA)(ベネズエラ)


 日本の政治は変わってませんが、時代は変わるものです。生きている人達がつくるものだから。

日章丸_(タンカー・3代)

日章丸事件

日章丸事件 出光

第3節 中東石油資源の発見と共同支配

歴史における転換点、イランの石油国有化記念日

国際石油資本

バカヤロー解散

昔のタンカーの話




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posted by てっち at 06:47 | 青森 ☁ | Comment(9) | TrackBack(0) | 第三日新丸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初めまして ドウチと申します。
ネットで探し物をしていて、こちらのブログに入りました。
拝見すると、とても懐かしく…
私の父(享年74)も捕鯨船に乗船しておりました
たしか、第三日新丸だったと思います。

岩手から遥々 南極海まで、一年中 父の姿は家にはなく 母子家庭のようでした。

記事にも書かれていたように、私も父を下関まで迎えに行くと、皆さんが「お父さんだよ」と言われたものです。

懐かしくて目が熱くなりながら拝見させております。
私は もうじき47になります、失礼ながら 多分 同世代の方ではないでしょうか?

なかなか 同じ境遇の方にお目にかかれず、詳細にお調べになられた記事に
本当にびっくりしております。

私も、前に 父の乗船記事を書いたことがあります

http://juba.naturum.ne.jp/e1107870.html

大きな母船が沖にならび、
母船から母船へ 釣りハシゴがかけてあり、
そこを怖くて通れない…

船から鯨肉を肩に担いで降りて来る父を忘れません
父の仕事を 小さいながらにも誇りに思って育ちました



Posted by ドウチジュンヤ at 2014年12月02日 10:06
ドウチさん、初めまして。ようこそ!

 ドウチさんの父上が第三日新丸に乗船していたということは、マルハ大洋漁業ですね。ひょっとすると同じ時期に私の父と一緒だったかもしれません。
 一応おやじは昭和3年生まれです。一世代上のようですね。私も34年生まれです。
 多分、ここではドウチさんが最年小でしょう♪
 このブログを立ち上げてから、父がキャッチャーボートに乗っていたという息子さんや娘さん、中積み船に乗っていた息子さんやマルハのOBの方。さらに父が他社の捕鯨船団にいたという方などと出会いましたが、第三日新丸は初めてです。
 今後ともよろしくお願い致します。
Posted by てっち at 2014年12月03日 18:09
てっち 様

ご連絡を頂きまして大変ありがとうございました
嬉しく思います
( 気付くのが遅れ申し訳ありません )

自分以外にも あの頃の思い出を大切にされてる方がいるのが とても嬉しく思いますし、亡き父の姿が見えて来るような気がして 懐かしい気持ちに浸っております。

大洋漁業のラジオ オープニングは加藤登紀子さんの 知床旅情 が流れる Amラジオがありました
当時、小学生だった私が手紙を読む為に、 同じく 他に何名かの お子さんと収録をしたことがありました。

全国には そんな方々がいるんだろうな… などと思い出していた中、てっちさんのブログに会い 懐かしく感動したしだいです。

恐縮ですが、今後共 どうか宜しくお願い致します
色々と教えて下さい。

コメントを頂きまして 大変ありがとうございました。
Posted by ドウチジュンヤ at 2015年04月12日 09:56
てっち 様

ご連絡を頂きまして大変ありがとうございました
嬉しく思います
また、せっかくにご連絡頂きましたのに、気付くのが遅れ 大変失礼な事をしてしまいました 申し訳ありません 。


私の姉は35年生まれですので、てっちさんと同世代です

皆さん 実際にお会いされたと聞き
私も機会を頂ければ嬉しいです。

自分以外にも あの頃の思い出を大切にされてる方がいるのが とても嬉しく思いますし、亡き父の姿が見えて来るような気がして 懐かしい気持ちに浸っております。

大洋漁業のラジオ オープニングは加藤登紀子さんの 知床旅情 が流れる Amラジオがありました
当時、小学生だった私が手紙を読む為に、 同じく 他に何名かの お子さんと収録をしたことがありました。収録場所は岩手県の二戸市です。

全国には そんな方々がいるんだろうな… などと思い出していた中、てっちさんのブログに会い 懐かしく感動したしだいです。

恐縮ですが、改めまして 今後共 どうか宜しくお願い致します
色々と教えて下さい。


遅れて申し訳ありません
コメントを頂きまして 大変ありがとうございました。
Posted by 道地純也 at 2015年04月12日 10:11
てっち様

コメント頂きまして大変ありがとうございました
何度かコメントを投稿させて頂いたのですが、掲載されないようです

私のブログにコメントをお入れします
Posted by 道地純也 at 2015年04月12日 10:18
てっち 様

ご連絡を頂きまして大変ありがとうございました
嬉しく思います
また、せっかくにご連絡頂きましたのに、気付くのが遅れ 大変失礼な事をしてしまいました 申し訳ありません 。


私の姉は35年生まれですので、てっちさんと同世代です

皆さん 実際にお会いされたと聞き
私も機会を頂ければ嬉しいです。

自分以外にも あの頃の思い出を大切にされてる方がいるのが とても嬉しく思いますし、亡き父の姿が見えて来るような気がして 懐かしい気持ちに浸っております。

大洋漁業のラジオ オープニングは加藤登紀子さんの 知床旅情 が流れる Amラジオがありました
当時、小学生だった私が手紙を読む為に、 同じく 他に何名かの お子さんと収録をしたことがありました。収録場所は岩手県の二戸市です。

全国には そんな方々がいるんだろうな… などと思い出していた中、てっちさんのブログに会い 懐かしく感動したしだいです。

恐縮ですが、改めまして 今後共 どうか宜しくお願い致します
色々と教えて下さい。


遅れて申し訳ありません
コメントを頂きまして 大変ありがとうございました。
Posted by 道地純也 at 2015年04月12日 21:46
道地純也様

 私の方こそ大変申し訳ありませんでした。最近コメントチェックを怠っておりました。
 え!大洋漁業のラジオ番組があったんですか?初めて知りました。青森では放送していなかったかもしれません。なにしろタモリさんの「いいとも」が夕方に放送されていたり、テレビもラジオも局が少ない分カットされている場合が多いのです^^ 岩手県北の二戸収録なんですね。
 もしかすると「昼の話題」というラジオ番組でしょうか。初代スポンサーが大洋漁業で、東北では岩手県が放送しています。青森県は流れていないようです^^あーあ♪
 今後ともよろしくお願い致します。
Posted by てっち at 2015年04月16日 15:20
てっち様
Amラジオですので 多分全国ネットだったと思います。 夜8時とかの放送で、母が朝からラジオを付けていると感度が良くなる! と申しまして 番組が始まるまでずっと一日中ラジオを流していました。
番組名は たしか・・  もあい だったような・・  もあい は 組合の新聞の名前だったかな・・   母に聞くと分かると思います、今度聞いてみます!
てっちさんは 青森出陳の方なんですね。
青森駅そばで 会社の会合か 組合の会合か 忘れましたが、 家族で青森の旅館に泊まりました。
同僚の方がいっぱいいて、 みんなでお膳を前に 宴会をしていたのを覚えております。
あんな豪勢な夕飯と、部屋のTVに 岩手ではやっていない番組があって とても羨ましかった記憶があります。
多分まだ小学校にも上がっていなかったぐらいです。
(うちでも わらっていいともは 15時に放送でした  笑)
ナガス鯨は 美味いもんだ・・  父はよく話しておりました。  あの味は 忘れられません。
Posted by 道地純也 at 2015年05月18日 15:50
道地さんこんにちは

うちの母もユニークですが、道地さんの母上もなかなかユニークな方ですね。
私の母は和裁をしている頃はテレビを見ないで一日中ラジオを聞いていました。そうか、感度が良くなるんですね。

その母が岩手県北の荒屋新町出身なので、夏休みなど遊びに行くと、同じように青森では見れない番組が放送されていて、羨ましく思ったものです。

私も子供の頃に食べた鯨の味は今でも忘れられません。その後あっちこっちで食べたどの鯨よりも美味しかったです。いっそアラスカにでも行こうかと思うほどです^^
Posted by てっち at 2015年05月25日 14:22
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